自立生活ってなんでしょう?


障害を持つ人たちの自立生活を可能にするためには、
施設生活で失われてしまった力や
限定された人間関係だけで得られなかった力を
取り戻す必要があります。
これまで「障害者」は、施設や家族のもとで保護され
管理される存在として
他人まかせの人生をおくることを余儀なくされてきました。
しかし、この10数年の間に多くの「障害者」が自分の意思で
施設や家族のもとから
自立し、地域社会に暮らすようになっています。
「自立」とは、
自分の身の回りのことができなければならないのではなく
大切なことは「どう生きるのか」を自分で考え、
自分で決めることではないでしょうか?

この世界に生まれてきた「たったひとつの命」を
嬉々と輝かせること・・・
それが自立生活の意味といえるのでしょう。
適切な援助サービスがあり、
社会環境が「障害者」にとって利用できるよう整備され
正しい知識や情報を得られるならば、
重度の障害を持つ人々も社会のすべての分野に
活発に参加できるのです。


以下の文章は「自立生活の基本理念とその歴史」〜ピアカウンセリング・自立生活プログラム〜
推進協会マニュアルより引用しました。お時間のあるときにゆっくりとお読み下さい。

世界の自立生活センターの歴史 (同誌第1章第1節より引用しました。)

 1960年代、米国において黒人の公民権運動が激しく荒れた時代、障害者もマイノリティの一部として
同じ公民権法の適用を望んでいた。米国の障害者運動は以降、公民権法の影響を強く受けることになる。

 1972年、カリフォルニア大学バークレー校を、呼吸器付きの車椅子に乗ったポリオの障害者Ed Robertsが
卒業しようとしていた。キャンパス内で得られた介助や住宅、車椅子修理、ピア・カウンセリングなどの
サービスが使えなくなることから同じ障害をもつ仲間と話し合い、家族や友人の協力も得て、地域の中に
自立生活センター(Center fo Indeoendent Living以下 ILセンターと略す)をつくることになった。
これが自立生活運動の創始である。

米国以外では、現実は理想とは逆の方向に進み、オランダでは障害者のコロニー政策がとられ
大規模施設群ヘッドドルフが建設される。イギリスでは、介助者付き集合住宅がつくられ障害者の集合住
という方策が採られる。米国の自立生活運動とスエーデンのフォーカスハウス(一般住宅への分散居住)
を除いて、世界はまだ施設か集合住宅の域をでていなかった。

 彼らが掲げた思想は、次の4つのものである。

@障害者は「施設収容」ではなく「地域」で生活すべきである。

A障害者は。治療を受けるべき患者でもないし、保護される子供でも、崇拝されるべき神でもない。

B障害者は援助を管理すべき立場にある。

C障害者は、「障害」そのものよりも社会の「偏見」の犠牲者になっている。

 これまで障害者は、リハビリテーションという名のもとに、健常者にできるだけ近づくことを
一生の目的として科せられてきた。例えば衣服の着脱に2時間かけても他人の手を借りずにすることが
リハビリテーションでは評価されたが、自立生活の思想においては、自らの意思によって選択し、
決定することが重要であることが高らかに宣言されている。リハビリテーションは期間を限った
医療行為であり、障害者の生活を一生管理すべきものではない。

 バークレーILセンターの後を追って、同年(1972)ヒューストン、74年ボストンと急速に発展した。
特に全米の障害者たちが一丸となって闘い勝ち取った、1978年のリハビリテーション法の改正によって、
連邦政府の援助が受けられるようになった。
また、米国の若手の社会学者Gerben DejongがThe Movement for Independent Living(1979)を発表し、
リハビリテーションとの対比でILセンターの有効性を学問的・理論的に位置づけた。

 この2つの出来事によって、ILセンターは燎原の火のごとく全米各地に広がった。
カナダにおいては1980年より、オンタリオ州キッチナーでHenri Ennsが、保護と管理を障害者に強いてくる
「リハビリテーションからの脱却」をめざして、地道な草の根的障害者の組織化を始めている。
この時代、世界的な状況は「自立」へと向かっていたのである。
この30年間にILセンターが達成してきた成果は偉大である。米国においては1978年いち早く
リハビリテーション法504号法案を強烈な運動の結果勝ち取り、ILセンターを国に認めさせた。
そして1990年世界で初めての障害者差別撤廃法ADA法を提案し成立させた。現在は政権の中枢に
多くの障害者リーダーが参加し、まさにくにを動かし始めている。また国のメディケアの介助サービスの
委託を受けるILセンターが増えてきている。カナダでは1980年のDPIの成立後ILセンターが生まれ、1989年
に自己管理介助料直接支給法(セルフマネジメント・ダイレクトファンディング)を各州で成立させている。
イギリスではコミュニティケア法の中に介助料直接支給法(ダイレクトペイメント)を作らせ、
ILセンターがその地方自治体への普及事業を国に委託されている。スウェーデンで当事者アセスメント
による自己管理型の介助サービスが介助利用者協働組合の支援によって行われてきて、既に14年になる。

 1999年9月21〜25日、ワシントンD.C.で世界50カ国からの障害者のリーダー100人以上を集めて、
歴史上初めての自立生活運動の世界会議が開催された。
ILセンターの世界連合がついに完成したのである。

註1)筆者:アメリカの自立生活運動に学ぶ、八代英太・富安芳和(編):障害をもつアメリカ人法ーADAの衝撃
   pp.320-322、学苑社

自立生活とは何か(第1章第3節より引用しました)

 自立生活運動は1970年代に、アメリカで医療的ナリハビリテーションが障害者を一生患者扱いし、
自己決定権や自己選択権を与えていなかったことに反対して、障害の自己肯定と自己尊厳の回復を、
自らが福祉サービスの受けてから提供者になることによって達成しようとし、大きな成果をあげてきた。
この理念は「障害は克服しなければならぬもの」との価値観をこれまで植えつけられてきた障害者にとって、
180度転換した思考方法を与え福音となった。つまり、障害は個性であり何ら更正する必要のないもの、
変わるべきものは、車椅子者を配慮しない駅の階段や障害者を受け入れない学校や企業であり、
人の心である。障害は社会が作り出したものであるとの発送の転換をしたのである。

 地域で障害者が暮らしていくために必要となる「力」には障害者特有なものが多い。
それも知識としてではなく、体験や実行する中で獲得していく質のものが多い。介助を受ける立場から
介助者を管理する力、調整能力、交渉能力が求められる。
これはいわば従業員を5-20名抱えた事業主の心境であろう。これを教えてくれる機関はILセンターの
他にあるとは思えない。専門職の教育課程にはこのような科目は今のところない。

 ILセンターで、これにあたるサービスが自立生活(以下IL)プログラムである。
単なる生活力のスキルであれば、一般的な専門家がリハビリテーションで教えても同じではないか
と考えられるが、ところが経験や体験、実行から学ぶことは社会の中で突発的な事象が起こったり、
偶然街で出会った人との関係性の中で生まれてくる。リハビリテーションセンターのような閉鎖的空間の中で
その体験をすることは不可能であろう。
また、白沢正和氏と対談しておりに白沢氏は「障害者に失敗をさせないようにケアマネージメントするのが、
良き専門家である。」という。これは根本的な誤りではないか、人間は失敗しながら学んでいる。
失敗できない施設の中で成長はない。ILセンターのILプログラムは、親元や施設にいて失敗を
経験できなかった人に失敗をさせるためのプログラムだとも言える。危険回避とか責任の所在という
陳腐な管理思想を解き放ち、自己責任と自己管理という、人間本来の権利を障害者に取り戻していくの
が自立生活運動でもある。

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