diary special edition 「結局、なんだったんだろう、この一年って。」
0402日 [戦争の記憶 第三章]
次はいよいよ2次試験編です。

っていっても、すでに結果は解っているんですがねー。

まず、センターが終わった次の日(月曜日です)学校にいってリサーチを提出します。
これは自分のセンターの成績を大手予備校に提出するんですが、
だいたい受験生の8割ぐらいがこのことをするので、
自分のセンターの持ち点が受験層のどのあたりなのかを把握する事ができます。

これで自分の志望校を決めるわけです。

例えば、リサーチの結果自分の希望する大学の判定がDならちょっと変更した方がいいですね。
(Dは合格率が20%切るだったと思う、確か。)

といっても、これが意外と大変。
俺見たくぱっと決まった人はいいですが(もちろん、2次が悪いと落ちます)
ちょっとこりゃ無理かな、この大学は・・・、となると志望校変更です。

工学部とかなら決まりやすいんですが、これが医学部、歯学部、保健学部となるとさー大変。
医科大とかは問題がかなり難しいですし、地方の国立でもセンター足切りとのぎりぎりの駆け引き。
俺のだちも必死に探していました、なんとか足切りにひっかからないように。

ここで解説。
足切りとは、その学部で募集する募集定員(大抵は実際の定員の2〜5倍)以上の受験者が来た場合、
センターの点数が悪い人から順に2次試験の受験資格を取り消す(ちょっと表現おかしいですが)
これに引っかかると2次がうけられないというかなり悲惨な事になるので、
なんとかして2次がうけられる大学に願書を出すわけです。

とにかく、センターとるだけとりましょう。
これだけは確実に言えます。

っっていうか今ふと思った。書く気があんまりないんだな、これが。
やっぱ、負け犬の遠吠えに近いものになってしまう気がする。

でもそれでも書いておきます、来年の為に。

とまあ、ようやくこれで前期、後期(なかには中期うける人もいます)の志望大学が決まりました。
で、ここで願書をおくったり、あるいは赤本、青本なんかを買うわけですが、
ここで一言。

全部買いなさい。

おいらは、前期が終わった日に後期の大学の赤本を買おうとしたけどありませんでした。
しかも取り寄せもしてくれない(買う人がほとんどいないとか)

とにかく、前期の赤本を買うときに一緒に後期の本も買っちゃいましょう。

でいよいよ2次対策。
ここでどれだけ勉強するかで合否が決まります。
逆転も可能です。(2次の配点が高い大学なら)

いろんな勉強方法があるとは思いますが、
とにかくまんべんなく勉強してください。

どうやらおいらは理科に重点を置いたみたいで・・・、
本番では数学が壊滅的に出来ませんでした。

ちなみに、うちの学校は2月から完全に授業がなく、代わりに教室を自習室として開放してくれました。
エアコンがないのでおいらは結局一回も行きませんでしたが。
結構みんないっていたような・・・。

とまあこうやって2月を過ごしていたわけです。
当然ながら、この時期ずっと塾にいたのでそこでの記憶しか有りませんが。

特に楽しいなんてこともなく、ただ問題を解く。

でも今思うと、一番よかったのは、
身近に誰か信じることの出来る友達がいた、ということだった。
ここ2・3日ずっと家にいて改めて思った。

やっぱりみんなといたい、と。
ものすごくわがままかもしれないが。

正直、不安が最近なかなか消えない。
こういうのは今までなんどか有った。
でもこういう不安は、塾で友達とだべっているうちに自然に消えてしまった気がする。
そんな雰囲気を持っていたのがあの塾だったと思う。

逆に仲がよすぎる事による弊害もあったかもしれない。
何度、みんなに迷惑をかけた事だろうか。
反省しても足りないぐらいだろう。

それでも、俺を含めて、みんなあの空間が好きだった。
落ち着くことが出来た。
心から話し合える友達が出来た。

それだけで十分だったのではないだろうか?

で、2次試験前日。
大抵は2/24です。

当然ながら地方に行く人はこの日ぐらいに出発していますので、
必然的に塾内人口は減少の一途をたどります。
だいたい5〜6人ぐらい残ったでしょうか。(このメンバーは関西圏のごく近い大学受験者)

このとき、不安なんて全然ありませんでしたね、まだ。
絶対受かるなんて信じてましたから。

当日。
おいらは家から普通に会場に行きましたが、
中には会場近くに止まった人も。
ま、人それぞれでしょうが。

会場に到着して、自分の試験番号を確かめて教室へ・・・、
そこは大講義室でした。

そう、机は全部長机。
5人が座れるサイズで、両端と真ん中に座ることになりました。
俺の席は真ん中。

こうなると、どうしてもどっちか一方の端の人に気を使わざるをえなくなります。
例えば、ちょっと友達に会いに行くにしてもいちいちその子に「どいて欲しい」て言わないといけませんからね。

まあ、これはいいんです。
っていうか後々これがちょっと重要になります。

試験開始。
最初は数学2時間30分。

問題を見て・・・・、「やばいぞ、まじで」
ホントに、ホントに、なんにもわかりませんでした。
かなりやばい級レベルでした。

時間だけが確実に進み、俺の鉛筆は一向に進もうとしない。
焦燥感がじわじわと出現してくる。
この感覚は忘れようがありません。

結局完答1問、半完2問という有様でした(全部で5問)
まじ、引きました。
ホントに落ちると思いました。

そのあと昼食でしたが、半分も食べられませんでした。
後にも先にも一回限りでした。昼飯が食べられないのは。

昼休みに同じ学校の子と何人か有って話を聞いてみる。
みんな出来てないとか。
しかし俺はここで笑えなかった。
俺の希望する学部はレベルが高いことは前々から十分にわかっていた。
数学、理系の切り札が出来ていないということが何を示すのか?

答えは自ずと見えてきた。
合格の可能性がかなり狭まってきた。が、まだ可能性がある。
残り2教科に賭けることにした。

まず、英語。90分。
意外と解けた。

そして理科。2時間30分。
出来た。

そして帰り道。同じ学校の子に出会った。
いろいろ聞いてみると、「数学は完答4問ぐらいかな」

そのとき、確信した。
後期がんぼろう、前期はもう駄目だと。

確か、帰りの電車で友達にメールを送った。
「前期はあきらめた、後期がんばる」と。

結果として、これはずばり的中した。
見事に、予想通りに。

とまあ、こうやって前期は終わったんですね。
さすがにその日は眠れませんでした。
浪人の危機が近づいた訳ですから。

当然ながら俺の人生の計画に浪人なんて入っていませんでした。

そして2/26。
後期の勉強開始。
後期は数学と英語だけなのの、チョットは楽。
しかしセンターの方が2次より配点が高い。

ちょっと説明。
大学によってセンターと2次の配点が違います。

まずセンター。
これもそっくりそのまま得点になるのではなく、圧縮します。
例えば、数学は200点満点を50点に圧縮(つまり4分の1)するとすると、
数学で合計180点(1A・2B合わせて)とった子は45点になるわけです。

逆に理科100点を150点換算する大学も有ります。
例えば、物理90点、化学70点の場合点数のいい方、つまり物理を90×1.5、
135点として扱う訳です。

それにセンターで扱う科目も違います。
特定の教科(例えば、英語、国語、地理歴史)だけを圧縮して300点換算する大学、
全部の得点を合計したもの(800点満点)を110点に圧縮する大学など、
いろんな圧縮の方法があるので、きちんと調べましょう。

次に2次。
これはいろんな教科がありますが、
文系は大抵、国語、数学、英語。 理系は数学、英語、理科です。
中には、文系で国語の代わりに社会や、理系で国語を加えている大学もあります。
理系で国語はちょっと厳しいような気もしますが・・・。

その配点も様々。
センター:2次 が 300:700 や 425:375 などなど。
2次が高いと現役生にとっては不利ですね。
どうがんばっても浪人生は2次が強いですから。

余談。
今年、おいらがうけた前期の配点は300:700。
去年は450:550。
明らかにやばいと思っていました。
上位校から人が流れて来るんではないかと。

上位校(某国立の○大)も配点は300:700。
しかも、国語の配点が高い。
必然的に国語が悪くて足切り引っかかりそうなやつがきそうとは思っていたが。
見事に的中した。

ちゅうか足切りしろよ。
だって募集定員である実際の定員の4倍、以上の人が受け付けしたんだろ。(5.2倍)

ま、後の祭りですが(気づいたのは今日だったりして)

話を戻して。後期の勉強。
さすがに数学はかなりしました。
だって前期出来ませんでしたから。

とまああれこれしているうちに卒業式(2/28)となりました。
雨でした。
確か去年も卒業式は雨だったような気がします。

いろいろと話をしました。
今思えば、このときが友達に会える最後の日でした。
それ以来連絡のつかない人も何人かいます。(その人が携帯もってないからっていうこともありますが)

もう少し話をしたかったなと今更ながら後悔しています。

そして3月。ひたすら勉強していました。

そんなある日、事件が起こりました。
ケータイのメモリが消えました。

きっかけはダチ(ドコモユーザー)の電池が切れかけていた事でした。
そこで試しに俺の電池ケースを貸しました。
普通は合わないんですが・・・、あったんです、電池ケースが。

確かにメーカーは同じNでした。
にしても普通合わないだろう、電池は。
これは「メーカーの手抜きを証明している」とさえ思いました。

で、電池を貸して、ダチのなくなりかけの電池が手元に残りました。
今思えば馬鹿な事ですが、そのとき何をどう思ったのか、
そのなくなりかけの電池を俺のケータイにはめて電源をつけました。

もちろん、すぐに画面はつかなくなりました。「電池がなくなりかけてます」との表示をして。

しばらくして(それでも10分ぐらい)ダチから電池を返してもらい、電源をつけました。
普通はここで時計が表示されるんですが、なんにも表示されない。
ふと疑問に思い、メモリを確認すると・・・、0%。すべてのメモリがなくなっていました。

さすがに笑えませんでした。
もう学校の友達に会えないってのが一番の痛手でした。
結局それ以来学校の友達の番号は入っていません。

ちょっと報告、このケータイは受験が終わってから修理にだしました。

(4/2 ようやく修理に出していた携帯がもどってきました、めでたしめでたし。)

とまああーやこーやしながら3/9、前期合格発表を迎えました。
微かに期待はしてました。
で、実際に見に行きました。1時間ぐらいかけて。

やっぱりありませんでした。
ま、予想していたことでした。
で塾の友達(それだけは入れ直していた)にメール送りました。 「サクラチル」

帰りの電車の中でぼーっと考えてた。
「マジ、がんばらんと浪人なるかもな」

で、塾に行きました。
泣き声がしていました。
どうすることも出来ませんでした。
ただ、じっと見ることも出来ませんでした。

俺はいつもどおり机に向かっていました。
そのことが、俺が出来た唯一の事でした。

前期の発表の後、後期まで残された日時は3日。
真剣にがんばりました。

ただ、前期で合格した人はどうしても塾に来なくなります。
このときほど、寂しい塾はなかったでしょう。
本当に泣きたくなりました。

そして、後期。
崖っぷちです。

試験会場に行くと、やっぱちらほら席が空いていました。
前期合格者の席です。

ふと、隣の子を見ました。
どっかでみたような・・・・、

そう、前期で隣座っていた子だ。
思わず声をかけてしまいました。

「一緒にこの大学はいろな!!!!!」

後期は少なくとも前期より手応えを感じました。
多分、合格出来る、本気で思っていました。

帰りの電車のなかで、この大学に通う自分を想像していました。

ここからは、もうご存じの通りです。(確かこの日から更新を再開しました。)

ちなみに、この日は学校に行って担任に報告していました。
やっぱりわかっていたそうです、そりゃそうだな。

後は、塾の小旅行、そして後期の合格発表。
ちなみに、前期・後期でとなりだった子には会いませんでした。
合格していることを願っています。

最後に。

長々と書きましたが、まだ書いていないのは、これからの浪人生活について。
これは来年の春に書きます。
笑顔で。

また追記なんかするかもしれません。

もう一つどうでもいいこと。
ほんとは第四章もつくる予定でした。
ネタは、今年1年間俺に力を与えてくれた音楽、ちゅうことでお勧めの曲の紹介をしたかったのですが、
状況が変わったので、来年にこの企画を回します。