「王様は裸だ、と叫び出すことのできない哀れな大人たちのために」
あらゆる場所に花束が……(中原昌也著、新潮社)
私見だが、本作は紛れもない名作であると信ずる。切り離されたイメージの羅列と、過剰な装飾語で溢れ返り窒息しそうなテクストの中で、意味や必然性やコンテクストといった、読者が作品に期待し与えようとするものたちは、自動的に失効され、そこにはただ「書かれたもの」としての結果だけが不気味に隆起する。本作は作者の意図如何に関わらず、極めてラディカルな言語的実践として結実しており、言語の自明性を問い直し、文脈の背後に常に潜む物語の陰謀を暴き立てるというような、ある種の批評性すら獲得してしまっている。
……さて、上記のような白々しい賛辞を冒頭に記さなければならなかったのは、今日の中原昌也を取り巻く論評の類が、あまりに面白くなさすぎるからである。本論ではこれらの「中原論」が何故面白くないのかを問い、ひいては現在の文芸批評がいかに貧しい世界となっているか、まで突っ込みたいところなのであるが、差し当たり、問題点を明らかにしておこう。
はじめに、中原昌也という「作家」のプロフィールを、本書の巻末から引いてみる。
中原昌也(なかはら・まさや)
1970年生まれ。小説家。ミュージシャン。2001年、本作で第14回三島由紀夫賞を受賞。著書に小説集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』『子猫が読む乱暴者日記』、映画評論『ソドムの映画市 あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』、対談集『サクセスの秘密』がある。暴力温泉芸者、HAIRSTYLISTICS名義による音楽作品は多数。
ところで「暴力温泉芸者」は「Violent Onsen Geisha」と読むのが正しい。実際『子猫が読む乱暴者日記』の単行本のオビには、小西康陽や小山田圭吾が賛辞を寄せていたりして、90年代前半、タワーレコードやHMVあたりで試聴しまくっていた人であれば、「ああ、あの中原昌也ね」とピンと来るはずだ。ちなみに私はミュージシャンとしての「暴力温泉芸者」をよく知らない。コーネリアスのリミックス盤にゲスト参加してるのを聴いたことがあるかな、という程度である。それだって、同じアルバムに参加していたhideの圧倒的な存在感の前には、塵芥も同様の代物であった。
さて、中原昌也を絶賛したり猛批判したりする批評家・作家の先生方は、いったいこのような日本の音楽市場をどのように捉えているのか。どちらかといえば「マイナーな/サブカルチャーと呼ばれるような」音楽の世界から、純文学の世界に現れた新人が急遽絶賛されなければならない、という、文学市場の方も、どのように考えているのか。
中原昌也を巡る論評には、概ね3パターンのものがあるように、私は見ている。その3パターンとは以下に示すとおりである。
1.まったく何が良いのか分からない、それどころか幼稚であり愚劣である、という全面的な批判。
2.幼稚であり愚劣だというような1の批判をある面でその通りと認めつつ、文壇へのカンフル剤として導入を奨励するもの。
3.何が良いのかまったく分からないままにとりあえず褒めている、単なる「ぶら下がり」。
具体的に、中原昌也に対する論評を、いくつか引用してみよう。
まずはタイプ1から。
いつの時代か判然としない東京に、(おそらくさほど先ではない近未来なのであろう)「醜いアヒルの家」という、私にはわけのわからない建物があって、そこで理由も対象もない暴力や、怒りの発散と同質のセックスが繰り拡げられる、というだけの話なのだが、十六、七の子供ではあるまいし、三十歳の作者が自分の小説の眼目に、いまどき使い古された理由も対象もないただの怒りを設定し、フラグメントの重ね合わせで無用に長い作品に仕立てあげたこと自体、私は幼稚だと感じた。
フラグメントといえばなにやら聞こえがいいが、似たような品数ばかり皿に盛ったお子さまランチと評すれば、受賞者に対していささか失礼であろう。
(宮本輝、第14回三島賞選評)
タイトル以外、とるべきものが何も無かった。ならばゼロだが、これは積極的に反対した。全篇が無意味な暴力と暴力的なセックス、嫌悪と憎しみで繋がる人間関係(これを人間関係と呼ぶならだが)だけで成り立っており、話の筋は通らず、登場人物は名前だけの存在で、しかもこうした無秩序に何も必然性が無い。何かに反抗し異議申し立てしているようにも読めない。強いて言えば既成の小説すべてに反抗しているのかもしれないが、もしそうなら、甘えん坊が家の中で金属バットを振り回して、破壊しまくっているようなものだ。せめて文章だけでも光るものがないかと思ったが「血に飢えた凶暴なダンプカー」などなど、上滑りの表現が目についた。選考会でそれを指摘すると、担当した新潮の編集者が「それも意識的になされたことだ」とコメント。そうは読めなかった。
(高樹のぶ子、第14回三島賞選評)
続いてタイプ2。
この作品に芥川賞を授ける蛮勇を持つ者はいまい。これを推した福田委員ともども針のむしろに坐ることにした。宮本委員は絶対に×といったが、次に何を書くか読みたいとも漏らしたし、やはり授賞に強く反対した筒井委員も理解を拒んだ高樹委員も、刺激を感じたり、才能を感じたりしたわけで、奇跡の授賞となった。ヌーボーロマンや『時計じかけのオレンジ』で知られるバージェスあたりが活躍していた七○年代モードを思わせ、懐かしくもあった。似たようなものはネット上に垂れ流されてもいるのだが(たとえば侍魂)、このいかれ具合は中卒ガチンコへの同情さえも吹き飛ばす。PCって何みたいなふてぶてしさに深沢七郎を思い出す人もいるようだが、中原昌也は若者には珍しく野蛮だ。私はこれを推すだろうと、他の選考委員に気取られたということは、私も年相応に野蛮なのだろう。
(島田雅彦、第14回三島賞選評)
最後に、タイプ3。
勧められないというのは、通常「小説というもの」に求められる物語の筋や流れを、すべて踏み外しているからだ。
しかし、不条理な夢の記述にも似た脈絡のない断片の集まり、暴力や怒りや絶望のイメージの積み重なりとしか見えない文章の間から、さめた笑いとともに現代への鋭敏な批評性が立ち上ってくるのも確かである。
「筆力とユーモアのセンスは信用できる」(選考委員の島田雅彦氏)との評もそれゆえだろう。
「暴力温泉芸者」「ヘアスタイリスティックス」の名で、ノイズ・ミュージックの世界ではよく知られた存在だ。
音の断片を重ね合わせていく手法は、小説にも相通ずると感じられるが、「違う人間がやっていると思われたいぐらい、音楽と小説は切り離して考えている」という。
「実験的な作風を狙ったわけではない。即興としかいいようがない書き方も自然にやっているだけ」と語りながら、「暴力を称賛するような書き方は避けた」ともいう。
はにかみがちな話の向こうから、時折したたかな時代への反逆心がのぞく。その意味では、「三島」の名にふさわしい才能の出現である。<文・大井浩一>
(毎日新聞2001年5月20日東京朝刊から)
もちろんここで問題にしたいのは「タイプ3」であるのだが、残念ながら適切なサンプルを十分な数だけ採取することができなかった。筆者の無能力をご容赦願いたい。(本論の執筆に際し『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』文庫版を、ガラクタに支配された部屋で行方不明にしてしまったのも、大きな原因である。あの本の「解説」は、ここで言うタイプ3の好例となった筈なのだが)
とりあえず手近なところでひとつ、「タイプ3」の問題点が現れている論評があった。引用してみよう。
中原昌也の文学を読み解くキーワードをひとつ挙げろといわれれば、俺は迷わず "不快感" と答えるだろう。(中略)彼の小説を注意深く読み返してみれば、そこかしこに視覚や嗅覚に強烈に訴えかけて、生理的嫌悪を喚起させる表現が多いことに気づくはずである。
処女小説集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』もそうだ。
〈口臭か体臭か屁の臭いか何だかよく知らないが、その腐ったキャベツに液状人糞をひたしたような猛臭〉(「路傍の墓石」)
〈ギェッ、グェッーッ。異臭を放つ、不気味な生き物がおぞましい叫び声を上げた。体中からぬめぬめした粘液を出している。この液が不快な臭いの元なのだろうか〉(「血で描かれた野獣の自画像」)
〈凄まじい腐臭を漂わせながら、薄汚れた台車がゆっくりと歩道を走ってくる〉(「ソーシャルワーカーの誕生」)
など、病的なまでに繊細で神経質な潔癖症の人間が読んだらその場で嘔吐しかねない秀逸な表現に満ちあふれていて素晴らしい。
(別冊宝島『いまどきのブンガク』より、文:村崎百郎)
さて、ここで引用された中原の文章の、いったいどこが「秀逸」であるというのか。同時代の他の「文学作品」と比較しても、中原の表現は、嫌悪感や不快感をもよおすという点においてすら、平均点を大きく下回る。
実際に比較してみれば、その差は歴然だ。
蛾を殺した後、妙に空腹を感じて冷蔵庫にあった食べ残しの冷たいローストチキンを齧った。それが完全に腐っていて、舌を刺す酸味が頭の中にまで拡がった。喉の奥に詰まったねばつく塊を指で出そうとした時、寒気が全身を包んだ。殴られたような激しい寒気だった。鳥肌がどんなに擦っても首筋にずっと残り、何度うがいをしても口の中が酸っぱく、歯茎がヌルヌルした。歯の隙間に引っ掛かった鳥の皮がいつまでも舌を痺れさせた。吐き出したチキンは唾液に塗れ、ドロドロになって流しに浮いた。流しの排水孔には角切りの小さなじゃがいもが詰まって、表面に油が渦を巻く汚ない水が溜まっていた。
(『限りなく透明に近いブルー』村上龍)
男はまず山本の右の肩にナイフですっと筋を入れました。そして上の方から右腕の皮を剥いでいきました。彼はまるで慈しむかのように、ゆっくりと丁寧に腕の皮を剥いでいきました。たしかに、ロシア人の将校が言ったように、それは芸術品と言ってもいいような腕前でした。もし悲鳴が聞こえなかったら、そこには痛みなんてないんじゃないかとさえ思えたことでしょう。しかしその悲鳴は、それに付随する痛みの物凄さを語っていました。
やがて右腕はすっかり皮を剥がれ、一枚の薄いシートのようになりました。皮剥ぎ人はそれを傍らにいた兵隊に手渡しました。兵隊はそれを指でつまんで広げ、みんなに見せてまわりました。その皮からはまだぽたぽたと血が滴っていました。
(『ねじまき鳥クロニクル』村上春樹)
いま、その文章によって「不快感」を読者に呼び込もうとするなら、最低でもこれくらいは書けなければならないだろう。これらに比べれば前述の中原の文章は、稚拙であるとの謗りを到底免れえず、ボキャブラリーの貧弱さや、修飾語の選択の拙さばかりが目に付くところであろう。
しかし本論は、これによって中原文学を批判しようというものではない。そのスタンスを明らかにするためにも、冒頭にわざわざ無理をして『あらゆる場所に花束を……』を絶賛する文句を持ってきたところなのである。
だから逆に言えば、本作はこうでもしないと褒めようがない作品なのである。真っ当な「文学趣味」の持ち主からすれば、筋は通っていない、文章は滅茶苦茶、いったいこんな幼稚な文章のどこを評価するのか、と訝しがるのは、むしろ当然の反応であるのだ。
再度確認しておくが、中原昌也の文章は稚拙であり、長編となったことによってそれはより強く現れている。簡単に振り返っておこう。
「お前は岡田だな?」
木の背後から鉄槍を持った三人の毛糸の目出し帽を被った男たちが突然、目の前に現れたからである。連中は恐らく小林が寄越したのだろう。
(本書59頁)
国語のペーパーテストなら三〇点の文章である。九〇点が取れるように書き直してやれば、以下のようになるはずだ。
「お前は岡田だな?」
毛糸の目出し帽を被り、鉄槍を持った三人の男たちが、木の背後から突然目の前に現れたからである。連中は恐らく小林が寄越したのだろう。
中原昌也の文章に現れるひとつの特徴だが、「Aが/Bした」という主語・述語関係を頑なに反復し、この主語「Aが」に修飾語句がひたすら積み重なっていくのである。その結果、同一内容の修飾語が連なったり、どれがどれに係る語か判らなくなったりするのは当たり前のことで、ひとつのセンテンスが二重三重の意味を持ち始めたりする。
もちろんこれは狙って書かれたものではない。先に引いた高樹のぶ子の選評に登場した、新潮社の編集者が言うような「意識的になされたこと」などであろう筈がない。彼はそんなに小賢しくない。中原自身もいたるところで、自分は実験的に書いているのではなく、自然に書いているのだ、ということを語っている。ほとんど奇跡か天才のように誕生したこれらの文章はしかし、本来なら日本各地の中学校で大量生産されており、国語教師たちは鹿爪らしい顔をしながらこれらを「正しい日本語」に矯正しているに違いないのである。
そう、このような才能の持ち主は、小学校や中学校で、学年に一人か二人は必ずいたのだ。すると、中原昌也を否定するものと肯定するものとの違いは、つまりタイプ1とタイプ3の違いは、正しい日本語を生徒たちに叩き込もうと情熱を燃やす国語教師と、そんなことより今日一日がどうやったら楽しく過ごせるか考えながら勃起したペニスを弄る中学生との、ひどくありふれた対立に過ぎないのである。
ここで考えなければならないのは、何故「中学生並みの」(中学生のように鋭敏な/中学生のように稚拙な)中原昌也が、今これほど脚光を浴びなければならないのか、ということである。
幾通りかの解答が考えられる。ヒントのひとつは、タイプ2として挙げた島田雅彦の選評に、既に含まれている。
このいかれ具合は中卒ガチンコへの同情さえも吹き飛ばす。PCって何みたいなふてぶてしさに深沢七郎を思い出す人もいるようだが、中原昌也は若者には珍しく野蛮だ。私はこれを推すだろうと、他の選考委員に気取られたということは、私も年相応に野蛮なのだろう。(島田雅彦、前掲)
先に挙げた3つのタイプの論評において、共通する事項が一つだけ挙げられる。各人がそれぞれの立場から、中原がクレイジーであることを認めざるをえないことだ。それを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは別として、中原昌也がある程度針の振れきった地点に到達していることには、ほとんどの論者が異論を差し挟む余地がない。
そのベクトルの向きはともかく、スカラー量として圧倒したことによって、中原昌也は他の作家にない新たなエクリチュールを獲得した。
しかし、これは他の作家たちにとって、明白な敗北ではないのか? 本来文学者たちは、自己を解体し言語を破綻させる不断の努力によって、中原より早く、中原の位置に到達しなければならなかったのだ。にもかかわらず、中原昌也というひとつの「天然の才能」の台頭を許したことは、文学の怠慢であると言わざるをえまい。その敗北を認めない文学者は中原昌也を否定し続けるしかないし、敗北を認める文学者は島田雅彦のように、せめて中原を認める力量があるということで自らを慰めるしかない。文壇で既に確固たる地位を築いた島田雅彦ですら、この状況なのである。文学は悲惨な状態に陥っている。
既にコーネリアスは1994年に歌っている。
あらかじめ分かっているさ 意味なんてどこにも無いさ
11の嘘と本当 見えない振りでもするのだろう
他人の言葉つなぎ合わせて イメージだけに加速度つけ話すだろう
(『太陽は僕の敵』詞・曲/小山田圭吾)
「彼ら」にとって、中原文学は必然であったし、もはや当然ですらある。
すっかり置いてけぼりを食わされた文学は、音楽や漫画やアニメーションが既に垣間見た深淵を、これから見ていかなければならないだろう。
〈参考図書〉
本作を含め、まだ中原文学に触れたことのない方々には、ひとまず『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』『子猫が読む乱暴者日記』の短編集2冊をお勧めします(ともに河出書房新社)。
語りの力によって文学に風穴を開けた存在として、町田康の名前を外すわけにはいきません。パンクロックという、まさに剥き出しの言葉の世界で勝負してきた町田のエクリチュールは、中原と比してより精緻であり、鋭くもあります。『くっすん大黒』(文芸春秋社)『夫婦茶碗』(新潮社)あたりは特に秀逸です。
より意図的に仕掛けを打っている作家として、多和田葉子が挙げられますが、ここまで来れば少し露骨に感じられるかもしれません。『文字移植』(河出書房新社)を挙げておきましょう。
ところで、こうした仕事の偉大な先人としてマルキ・ド・サド『ソドムの百二十日』(澁澤龍彦訳/河出書房新社、ほか)を忘れるわけにはいきません。既に200年前に、こうした文学が誕生していることに驚嘆すべきです。
音楽はすでにずっと先に進んでいます。フリッパーズ・ギターの解散とコーネリアスの誕生は、90年代の音楽にとって一大事件でしたが、今聴くなら2001年に出た最新アルバム『Point』がよいでしょう。執拗に拡散と凝集を繰り返し、虫の羽音からベートーヴェンまで同列に並べ立てる音楽は、明らかに文学より一歩先を進んでいます。
より最近の例では、B-DASHの新作アルバム『ぽ』が、きわめて文学的です。これだけの「日本語」を紡ぐことのできる文学者は、この国にはいないでしょう。