イベント報告

「第1回文学フリマ」(2002年11月3日、青山ブックセンター)にサークル参加して参りました。
その際に気づいたこと等の報告です。
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 結論から申し上げれば、まったくひどいイベントであり、参加するんじゃなかったな、時間と労力と金銭の浪費だったな、と後悔することしきりです。(いい社会勉強になった、という考え方はできますけどね)
 色々と見苦しい愚痴を並べ立てる前に、まずはこの「文学フリマ」当日の流れについて、大雑把にご説明申し上げます。

 当サークル「涼風文学堂」の当日の机の配置は、下図のようになりました。
 見ての通りこの配置には、さまざまな問題があります。
  1.まず、お客さまと向き合えません。物理的に。
  2.右隣(というより、正面)のサークルさんにお客さまが来ているときは、私のサークルはお客さまからまったく見えなくなります。逆も同様。
  3.左に二つ隣は、作家の佐藤友哉さんのスペースです。佐藤さんのスペースは大盛況であり、狭い会場内は大混乱だったのですが(そのこと自体はそんなに悪いことだとは思いません。別に迷惑とも感じませんでした)、問題は、作家だか評論家だか編集者だか分かりませんが、知り合いらしい方が佐藤さんの机の前にたまっていることが、何度かあったことです(そのうち一人は、評論家の東浩紀氏であることを確認しました。他は、この世界の情勢に疎い私には分かりません)。はっきり言って邪魔でした。
  4.左隣はダミーサークル(名目程度の売り物しか用意しないサークル)でした。私が直接確認したわけではなく、不確かな情報で申し訳ないのですが、私の手伝いに入ってくれた友人が聞いたところによると、このサークルは、事務局側から頼まれて参加した「サクラ」だったとのことです。

 この時点で「ずいぶん馬鹿にされているな」というのが、まず最初の感想です。

 さて、当日は即売会のほか、昼過ぎからトークショー(誰が何と言おうとあれは「対談」とか「討論」ではなく「トークショー」です)がありました。内容としては、今回の言いだしっぺである大塚英志氏と、「重力」の主要メンバーとして知られる鎌田哲哉氏が討論する、というものでした。
 お題は、今回の出店要綱の中で、参加費の余剰金の扱いについて、
  ・第2回文学フリマの事務局が発足できたらそこに引き継ぐものとし、
  ・半年以内に第2回事務局が立ち上がらなかったら、余剰金を「アフガニスタンかどこかに全額寄付」する、
という記述があったことについて、鎌田氏がそれには了承しかねる、と異論を唱えたことから、両者の主張を行う場を設ける、というものです。
 途中で評論家・大学教授の福田和也氏の「乱入」(拡声器かついで黄色いヘルメットかぶって)もあって、ショーは大いに盛り上がり、最後は大拍手で終わりました。

 ここで両者の主張を詳らかに追うことは避けますが(どうせ茶番ですし)、このトークショーで特に気になった点として、鎌田氏が
 「70サークルの参加があって、なぜ自分以外の誰も、この件について異論を叫ばないのか」
 「(参加者の中から、大塚・鎌田両氏は特権的な立場にある、と指摘されたことに対して)文句があるなら何故事前に訴え出ないのか。そうすれば、私と同じように今日この場に来られたはずだ。何ら特権的ではない」
という主張を、特に声を荒げて行っていたことです。

 鎌田氏は繰り返し、「自分は70分の1の、単なる一参加者に過ぎない」と主張していました。しかしあの場で間違いなく「70分の1」であった私から言わせてもらえば、鎌田氏は紛れもなく「特権的な立場」にいたのです。
 何が特権的か。鎌田氏は「重力」メインメンバーの一人として、あるいは評論家として、一部では名の知れた存在であり、また今回は、大塚英志氏に強く参加を要請されて参加した立場にあります。このため、鎌田氏自身がどれほど「70分の1」であろうと願ったとしても、本人の意思や希望に関わりなく、周囲からは例えば「重力の鎌田さん」として見られるのであり――言い換えれば、ある種のアウラをまとうことになり、そこでは名前を喪失した「70分の1の一個人」であることは、既に不可能になっているのです。
 われわれ(この語の用法には重大な問題がありますが、ここでは触れずに話を進めます)は既に、「大塚英志」「鎌田哲哉」etc.という「固有名」で「流通」する世界に生きているのであり(それは「高度情報化社会」と「市場原理」が結びついた当然の帰結です)、こうした市場原理が介入する以上、それぞれの固有の名前に付加価値を生ずるものと、そうでないものとが発生します。例えば大塚氏は「サイコの大塚英志」「おたく評論家の大塚英志」「サブカルチャー文学論の」「エロ本編集者の」「今回のイベントの発起人の」等々、既に様々な価値をその名前の上に付与されており、ここから開放されることは、本人の意思においては不可能です。にも関わらず、鎌田氏が「自分は70分の1であり、他の参加者と等価である」と言い張るのは、例えば丸腰の相手の前に戦車で乗り付けてきて、「さあ一騎打ちで勝負だ、これなら公平だろう?」と言うような、ある種の事実関係を隠蔽する言説となっているのではないでしょうか。

 同時に、鎌田氏が中心的な問題として据えた、余剰金の問題については、基本的には鎌田氏の言うとおり、余剰金の使途を大塚氏が決定するためには、参加者の承認という手続きを経なければならない、という意見がまったく正しいと思います。
 しかしここで問題化されなければならないのは、「果たして一般参加者に、この出店要綱に異論を唱えることが可能だったのか?」ということです。例えば鎌田氏はこの件について「参加者の主体的な判断/自己決定」というようなことを口にしましたが、この言説は基本的に、ロック/ノージック的な、主体は自律的に存続可能である、という、ほとんど無邪気な幻想の上に成り立っています。しかしながら、駆け出しのポストモダン論者でも分かるとおり、間主体的(inter-subjective)な領域を無視して、主体が成立することはありません。
 人間(個人)は、ロックの言う「自然人」のように、完全にフリーハンドの状態で自己決定を行うのではありません。外界との関係性においてのみ自己の足場を規定=主体を形成することができ、環境によって規定された枠の内側でのみ、自主的な判断を行いうるのです。
 さて、今回の場合、われわれ一般参加者において、出店要綱に異論を唱える、という選択肢は、最初から与えられていません。その理由の最たるものは、パワー・ゲームの結果であり、先に指摘したような「固有名の付加価値の差」であり、「彼我の戦力の差」です。
 つまり今回のイベント「文学フリマ」は、その発足の経緯から言っても周知の経緯から言っても、完全に「大塚英志」という、きわめて付加価値の高い固有名詞に依存して/もたれかかって成立しているものであり、この場において、一参加者としての私が、発起人である大塚氏と「同等の責任をシェアする」ことは不可能なのです――市場原理から言っても。そのため、われわれの取り得る行動としては、最終的な責任を取りえない立場であることを認識した上で一参加者として参加し、余剰金の管理まで含めて、運営に関する責任/主体性を一括して大塚氏に委任する以外にないのです。
 (この場合、大塚氏が果たすべきは、参加者全員の承認という手続を経ることではなく、説明責任を徹底することです)

 上記の文脈に従うものである限り、われわれはこのイベントの運営に際して「責任ある姿勢」を取ることはきわめて困難です。
 このことは大塚氏の苛立ちを助長するひとつの原因となったと推察しますが、それはこのイベントの構造上、不可避のものであったと思います。身も蓋もない言い方をすれば「言いだしっぺが骨を折るのは当然」なのです。

 何より最大の問題点は、今回のイベントの周知に際して、圧倒的に付加価値の高い固有名が多用されていたことです。例えば来場者に配布されていたビラには、主な参加予定者として、佐藤友哉氏、白倉由美氏といった、「大塚英志ファンであれば知っていそうな名前」が羅列されていました。大塚氏は「佐藤友哉のブースに行列した人たちは、本を買ったあと他の参加者のブースを回っていた」と主張し、図らずも彼を「客寄せパンダ」として呼んだ意図を暴露してしまったわけですが、私が一日同じ部屋で見ていた限りでは、そういう奇特な来場者はごく少数で、多くの方はお目当ての佐藤氏の本を買った後、ほとんど何にも目もくれずに会場を出て行きました。また、会場内には東浩紀氏や長嶋有氏とみられる人物の姿も見えましたが(人違いであれば、申し訳ありません)、彼らが自分の知り合い以外のブースを見て回る姿を、私はついぞ見かけていません。東氏に至っては、完売御礼の看板を掲げた佐藤友哉氏のブースへ行って、「俺の分取ってあるんでしょ?」と大声で尋ねる傍若無人ぶりでした。(これはオタクの流儀としても恥ずべきものです)とどめには、大塚氏が自分の本を持ってきて 佐藤氏と東氏にサインを書かせ、自らの商品の付加価値を高めて売る、という茶番までおまけにつきました。
 今回のイベントは、出店要綱から引用する限りでは「『文学』が『世界』に開かれるためのイベント」として開かれたはずだったのですが、ここに引いた事例でお分かりのとおり、その実態は「大塚組の同窓会」でしかありません。ファンはこの「大塚組」の豪華な面々を「見物に訪れ」、われわれは「招かれざる客」としてそこに居合わせざるをえませんでした。「大塚組の同窓会」の幹事を赤の他人に手伝わせようとして失敗し「ボランティアが集まらない、ぶつぶつ」と文句を言うのは、そりゃあんた甘えすぎだよ、ということです。
 結局この「文学フリマ」は、「大塚英志」の商品価値と「大塚英志ゆかりの作家たち」の商品価値に過度に依存してしまったため、文学の裾野を広げるどころか逆に、文学の末端で活動している脆弱な個人を圧殺し、大塚組の共同体だけを肥大させる結果に陥っているのです。

 さてさて、今回の言いだしっぺの大塚氏は、この「文学フリマ」を第2回以降も誰かの手で開催していってほしい、と願っているようです。はっ。へそが茶を沸かします。それこそ最高に馬鹿げた茶番であると、私は考えます。(イベント当日、無料配布したペーパーにおいて、私は「今回の余剰金はアフガンかどこかに寄付されることが望ましい」旨の記載をしました。イベントが終了した現在、私は「今回の余剰金はアフガンかどこかに寄付されなければならない」と考えます)
 「文学フリマ」が「今回一回限りのお祭り」でなければならない最大の理由は、先程から繰り返しているとおり、この「文学フリマ」が「大塚英志」という個人名に大きく依存したイベントであることによります。そして大塚氏自身、先の出店要綱の中で、「第2回開催のための事務局が発足できたら、参加費の余剰金や一切のノウハウをその人たちに引き継ぎます。」(下線は引用者)と明記しています。
 「引き継ぐ」という行為は紛れもなく「セレモニー」であり、それは「第2回文学フリマ事務局」が「第1回文学フリマ事務局」によって「承認された」ということ、もっと直接的に言うと「第2回文学フリマは第1回文学フリマによってその正当性を担保される」ということになります。当然ここには、イベントの発起人である「大塚英志」の名前が深く刻まれ、亡霊のようにイベントの周囲を浮遊し続けることになります――たとえ大塚氏自身がそれを望まず、イベントの一切の事務から手を引こうとも。
 たとえ大塚英志がイベント運営に一切関わらず、佐藤友哉も白倉由美も慶応大学福田ゼミも出店せず、西島大介デザインのシンボルマークも使われることがなかったとしても、そのイベントは「第2回文学フリマ」という名前である、というただそれだけで、大塚英志という名前の「呪い」から逃れられないのです。
 このことは間違いなく、そのイベントがより「文学」に適した形態を模索していく上で、致命的な障害となります。というのも、「第1回文学フリマ」が良くも悪くも漫画の同人誌即売会の模倣からスタートしていることと、「大塚英志」をはじめとするビッグネームのまさに「名前」に支えられていることから、逃れられなくなってしまうからです。どうしてもこの「呪い」から脱しようと欲するのであれば、そのイベントは「第2回文学フリマ」という名前を捨て、まったく別の名前と別の場所、別のスタッフで、人知れず行われなければなりません。そうするのでなければ、せいぜいがマイナー作家のファン感謝デーとして、先細り絶えていくだけのことです。
 まぁ、余剰金に関する一切の権利を一切の責任とともに放棄した(せざるをえなかった、という問題はさておき)立場となる私としては、第2回文学フリマと称する茶番が繰り返されようが今回限りとなろうが、知ったこっちゃない、というのが本音ですが。ただ、前述のトークショーで大塚氏が語ったところによると、「第2回文学フリマの事務局を発足させることはできないけれど、このイベントを存続させていきたいという意志はあるので、お手伝いしたい」と申し出た中学生だか高校生だかがいらっしゃったそうですから、せいぜいこうした若い意欲が、大人たちの勝手なエゴに振り回され、いいように利用されないよう祈るだけです。ほんとに祈るだけですけどね。