「声に出して読みたい『天才』平野啓一郎」
日蝕(平野啓一郎、新潮社)




てん−さい【天才】@天から与えられた才能。うまれつきのすぐれた才能。A平均をはるかに越えて創造の先天的能力を持つ人。――−きょういく【天才教育】天才児の持っている知能・特殊才能を発達・助長させるための特殊の教育。――−じ【天才児】先天的にすぐれた才能を有する児童。
(岩波『広辞苑』第二版補訂版より)



 天才と呼ばれ、神童と呼ばれる。そんな作家は今日存命の邦人作家の中で、平野啓一郎ただ一人である。どれほど若くして文学の才能を開花させたとて、島本理生や綿谷りさが天才と呼ばれたろうか?寡聞にして聞かない。乙一や中原昌也や清涼院流水なら「鬼才」あるいは「奇才」と呼ばれることもあるだろうが、彼らを「天才」と呼ぶことには多くの読者が違和感を覚えることだろう。かくして「天才」とは平野啓一郎ただ一人に与えられる称号となり、平野啓一郎の代名詞となる。
 しかし「天才」という語は、先に辞書から引いた例でも分かるとおり、例えば「秀才」という語に比して、「訓練や学習によって後天的に得た技量ではなく、先天的に有していた、天賦の才能」という色合いを強く持つものである。
 平野啓一郎は、ほんとうに天才だろうか?本稿はこうした疑問からスタートする。

 物語のモチーフは、ヘルメス、カタリ派、異端、魔女狩り、錬金術等々、澁澤龍彦、種村季弘の読者なら馴染みのものだが、文体の妙と「語り口」の巧みさに感心した。とても二十三歳の若者の筆によるものとは思えなかったからだ。
 『日蝕』は一八四八年初夏、主人公ニコラの回想から始まる。…(以下60行にわたり、あらすじの紹介が続く)…ここから物語はスリリングに展開し、平野啓一郎独特の幻想譚へと一気に盛り上がりを見せるのだ。
 第二作『一月物語』もむろん読んだが、これまた面白く、ひょっとすると『日蝕』よりさらに多くの読者を獲得するのではとも思った。…(以下40行ほどあらすじの紹介)…見られるように泉鏡花を思わせる(とくに蜘蛛をメタファーに使うシーンなど)、昔懐かしい恋物語である。それが平野啓一郎お得意の、意識的に古い漢字を多用した例の擬古文で綴られるからたまらないのだ。そしてこの文体、『日蝕』よりさらに磨きがかかり、抜群の効果を発揮してもいる。例えば…(以下、作品から長々と引用しているだけなので割愛)
(『平野啓一郎〜若者の筆とは思えぬ、文体の妙と巧みな「語り口」』
 安原顕、宝島社『別冊宝島496 いまどきの「ブンガク」』所収)


 そういえば安原顕も自らを「天才ヤスケン」と自称していた気がする。まぁこれは「天才バカボン」と同程度のギャグであるし、ヤスケンの浅薄さを指摘するのは坪内祐三あたりに任せておけばよい。
 そんなことより、ここに引用したヤスケンの文章から読み取られるべきは、結局このテクストは「平野啓一郎と『日蝕』を絶賛している」はずなのに、「よく読むと、どこをどう褒めてるんだか分かりゃしない」というところなのだ。私はここにこそ、平野啓一郎を読み解く最初の手掛かりを見出す。つまり、平野啓一郎を絶賛する多くの読者たちが、「平野啓一郎は/『日蝕』は、スゴい」という共通認識に立っていながらも、実のところ「何がスゴいのかよく分からない、うまく説明できない」のだ。

 当然ながらこの「何だか分からんがとにかくスゴい」という感覚は、「天才」というタームと親和的である。

 したがって、ラディカルたらんとする本稿としては、こうした安易な図式により「平野啓一郎=天才」と断ずる思考停止状態を、まず打破しなければならない。
 果たして、平野啓一郎は天才なのか?先に引いたヤスケンの文章でも、結局平野啓一郎の何を褒めているのかといえば「文体」だけである。ではその文体は「天才」の名に値するものか?『日蝕』から引用してみる。

 これより私は、或る個人的な回想を録そうと思っている。これは或いは告白と云っても好い。そして、告白であるが上は、私は基督者として断じて偽らず、唯真実のみを語ると云うことを始めに神の御名に於て誓って置きたい。誓いを此処に明にすることには二つの意義が有る。一つは、これを読む者に対するそれである。人はこの頗る異常な書に対して、径ちに疑を挿むであろう。私はこれを咎めない。如何に好意的に読んでみたとて、この書は所詮、信を置く能わざる類のものだからである。多言を費やして無理にも信ぜしめむとすれば、人は仍その疑を深めゆく許りであろう。然るが故に、私は唯、神に真実を誓うと云う一言を添えて置くのである。

 平野が『日蝕』で終始貫くこのスタイルは、「擬古文」と称される。だが、ほんとうにこれは「擬古文」として特筆すべきものなのか?
 こうした疑問は、上に引いたような文章を「音読」してみると、氷解する。

 これより私は、ある個人的な回想を記そうと思っている。これはあるいは告白と言ってもよい。そして、告白であるが上は、私はキリスト者として断じて偽らず、ただ真実のみを語るということを始めに神の御名において誓っておきたい。誓いをここに明らかにすることには二つの意義がある。一つは、これを読む者に対するそれである。人はこのすこぶる異常な書に対して、ただちに疑いをはさむであろう。私はこれを咎めない。いかに好意的に読んでみたとて、この書は所詮、信を置くあたわざる類のものだからである。多言を費やして無理にも信ぜしめむとすれば、人はなおその疑いを深めゆくばかりであろう。然るがゆえに、私はただ、神に真実を誓うという一言を添えておくのである。

 漢字をひらがなに直すだけで、これほど平易な文になるのである。一見、新聞や雑誌では見かけない漢字が多用されているものだから、「平野啓一郎は難解な擬古文を駆使して作品を書く」と受け止められがちだが、ここで確認したとおり、平野の文体は本来、現代語、それも国語の教科書に載せても問題ないような、正確な構造の「標準語」である。
 別段そのことを非難するつもりはない。それどころか、これだけ「正確な日本語」を書ける人間は、文壇においてもジャーナリズムにおいてもそう多くはない。その点で平野啓一郎は、類まれな技量の持ち主であることは、疑いない。
 だがしかし、それは「天才」の名に値するものなのか?

「お前は岡田だな?」
 木の背後から鉄槍を持った三人の毛糸の目出し帽を被った男たちが突然、目の前に現れたからである。連中は恐らく小林が寄越したのだろう。
(『あらゆる場所に花束が……』中原昌也、新潮社)


 以前、中原昌也を扱った書評においてこの文を引用し、「国語のペーパーテストなら三〇点」と評した。これと比較すればその差は歴然で、平野の文章は国語のペーパーテストなら九五点から一〇〇点、ひょっとすると国語教師などより精緻な文章であるかもしれない。
 だが「正確である」ということは「個性的である」ということと同居しえない。われわれの「標準語」が日本全国の方言を均した「平均値」であることを考えれば、「正確な標準語を綴る」ということは「平均的な日本語を扱う」ということに他ならない。平均的である、ということは、先天的な/特異な才能に基づいているものではなく、後天的に、多くの優れた文章に触れていく中で身につけられていくものである。
 つまり、平野の文体だけを取り上げて、それを「天才」の根拠とすることは、妥当でない。その文体に関して言えば、平野は「天才」というより「秀才」、質の高い教育と十分な鍛錬と自制心に裏打ちされた、いわば「匠の技」である。

 さて、平野啓一郎の「天才」について、彼の文体の中からはその根拠を見出すことはできなかった。
 それでは何処に彼の「天才」たる所以があるだろうか?文体でないとするなら、次に思いつくのは物語の構造である。前述のヤスケンに代表されるお爺ちゃんたちが、その構想力にひたすら感心していると、その隣で大塚英志あたりが「でもあれって『ドラクエ』だよね」とちゃちゃを入れる。
 その是非は後述するとして、平野の物語の「構造」に特徴があり、注目を集めていることも、見逃せない事実である。物語の「起・承・転・結」がしっかりしている。こういう物語を書く人は、日本の文壇にはあまりいない。というより、誰も書こうとしない。
 ところで、大塚英志が『日蝕』のプロットを『ドラクエ』と表現したのは興味深いが、大塚はその『ドラクエ』がいかなる物語を下地にしているのか、という点を見落としている(あるいは、彼の提唱するサブカルチャー論について都合の悪い物事は、あえて見ないことにしている)。
 『ドラクエ』こと『ドラゴンクエスト』は、今さら紹介するまでもなく、家庭用ゲーム機の世界に「ロール・プレイング・ゲーム」という概念を導入した、和製コンピュータRPGの古典中の古典である。その物語構造の特徴は、「正統な血統のもとに出生した『勇者』が『大魔王』を倒すためいくつもの苦難を乗り越えていく」というパターンにある。(シリーズを通じてこの物語構造は繰り返される。であるからこそ、「どこにでもいる普通の主人公たちのメロドラマ」としての『ファイナルファンタジー』が、ドラクエのアンチ・テーゼとして成立しうる)
 『ドラクエ』が呈示するのは古典的なヒロイック・サーガであり、それは西欧的な神話・民話・寓話に題材を得ているものである。(したがって「最後の寓話」を自称し古典的な寓話の構造を解体する『ファイナルファンタジー』はきわめてポストモダン的である。閑話休題)本稿は既に「物語」という語を不用意に使用しているが、『ドラクエ』はまさに古典的な意味合いでの「物語」、言い換えれば、近代における「小説」と対置され、本来口伝される対象であったところの「物語」の伝統を固持しているのである。さらに言えば『ドラクエ』の拠って立つ「物語」とは、リオタールの用語で言う「大きな物語」である。
 平野の『日蝕』も、『ドラクエ』の物語構造を踏襲しているというよりは、より古典的な「大きな物語」の文法に沿っている、と表現する方が妥当であろう。

 さて、『日蝕』と『ドラクエ』に共通する文法構造とは、「通過儀礼[イニシエーション]」としての物語構造である。既に文庫版『日蝕』に付された四方田犬彦の「解説」において、「通過儀礼はひどく評判が悪い。……同時に探求の物語も価値が下落してしまった」と指摘されているとおり、それはもはや多くの作家にとって、回避されるべき代物である。
 『日蝕』における主人公の青年(これが青年、あるいは青年と少年の狭間にある男であることも、通過儀礼の物語を進めるために、決定的に重要な設定である)ニコラは、初め神学を深めようとして旅に発ち、やがてその興味を錬金術(決して得ることのできない完全性)へ、そして両性具有者(完全性の具現)へと惹きつけられてゆく。両性具有者、すなわち被造物たるヒトの領域を超越したもの(例えば天使は大概両性か無性と考えられる)は異端=魔女の烙印を押され、焚刑に処せられるが、そのとき日蝕(人間の支配領域を超えた次元での、秩序の崩壊)が起こり、両性具有者は射精し、その燃えた後の灰からは、黄金が生成する。
 こうして「パリ大学で神学を学んでいた学生」という、きわめて正しいレールの上にあった主人公は、異質な、彼の社会からは外れた(否定されるべき)ところにあるものたちの中に、ありえなかった完全性を発見するという、不可逆的な経験をする。
 にも関わらず、主人公がパリに戻ると大学には籍が残っており、彼は再び神学徒の道に戻ることができる。研究生活を経て司祭の職を得、試みに成功する当てもない錬金術など弄びながら、まったく他人事のように「蓋し、両性具有者は私自身であったのかもしれない」などと呟く。それは野心と可能性に満ちた少年が、世界とうまく折り合いをつけながら、物分かりのいい「オトナ」へと脱皮を遂げた、決定的な変化なのである。
 舞台装置は大いに異なるが『ドラクエ』の与える通過儀礼も、基本的にはこれと変わらない。世界をあまねく見聞し、あらゆる謎を解かんと旅立つ主人公は、一方で父=秩序からの承認を決定的に求めている。そのため、この物語のエンディングは「竜王を打倒したことによる世界の平和」で終わるのではなく、「そのことを父(=ラダトーム王)に承認され、王女を妻に娶る」という終わり方になるのである。
(『ドラクエ』の各作においては「結婚」「王位継承」「勇者の称号を与えられる」といった、社会的な承認の儀式が、物語の終末に必ず用意されている。多くの物語作家が避けて通るこの「通過儀礼」に拘る、という意味において、堀井雄二は平野啓一郎と同様に稀有な作家と言えるのである。閑話休題)

 ここでわれわれは、平野啓一郎と対置しうる作家として、阿部和重を思い出してもいい。

 山形県は、YAMAGATA県になる。そのイニシャル〈Y〉という文字は、股間をあらわす絵文字として、トイレ――すなわち〈W・C〉――の白壁に落書きされる。(中略)男性用トイレに描かれたその絵は、ほとんどが女性の裸体を表現しているわけだが、それが男性の裸体である場合、〈Y〉をかたちづくる三つの直線がまじわる中心点付近に、つけたすべき記号が必要とされるのであるから、白壁に記された〈Y〉の姿はいくらか過剰なものとなり、アルファベット〈Y〉ではないものとなってしまう。付加された記号によって〈Y〉は抑圧される。つまりここでも男根主義による植民地支配がおこっているというわけだ。
(『ABC戦争』阿部和重、新潮文庫)


 阿部和重は「九〇年代型知識人」のスタイルの典型である。(文庫版の解説を蓮實重彦や東浩紀が書いていることは、象徴的だ)九〇年代には『知の技法』に代表されるような、東大教養部系ニューアカデミズムの影が色濃く残っていた(だからこそ筒井康隆は『文学部唯野教授』を書かなければならなかったのである)。
 阿部和重の小説には、例えばラカンやデリダの影が見え隠れする。それはプラトンの有名な洞窟の比喩以来、哲学者たちの伝統的な関心事となっている、自らの姿を知ろうとする果て無き探求であり、あなたとわたし、自己と他者との関係性、そしてその関係性に言及する文法をひとつ上の次元から俯瞰すること(これを脱構築と呼ぶのではなかったか?)から、この永遠の謎に迫ろうとするアプローチである。
 したがって、阿部和重の問題とするところは、最終的に自己と他者の二者による関係性へと収斂するのであり、「鏡像関係」という用語に象徴されるように、二者が等しく天秤に乗せられる関係性に置かれているのである。
 それはまったく九〇年代型知識人の代表的なスタンスであった。この時代にわれわれは、バブル経済とその崩壊を見た。ベルリンの壁もソヴィエト連邦もこの地上から姿を消した後の時代に、われわれは自らを映し出す鏡となるものを、プラトンの比喩でいう洞窟の壁に当たるべきものを、探さなければならなかった。阿部和重の描く主人公が(例えば彼の代表作である『インディヴィジュアル・プロジェクション』を想定すればいい)容易に他者に自己を投影し、同一化し、同時に埋めることの出来ない隔たりを見出し、揺れ動くという、実に不安定な自己の在り処をひとところに特定しようと苦悩するのは、この時代に実に一般的なスタイルであり、普遍的な悩みだったのである。

 平野啓一郎には、『日蝕』には、こうした苦悩が決定的に欠けており、そのことはこの作者を語る上で重要なのである。
 実際、阿部和重のようなスタンスを取ることの方がよほど容易だったのではないか、と私は空想する。『ソフィーの世界』のような本がバカ売れし、誰もが安易に「自分探し」なんてタームを口にするようなそんな時代に、どうして『日蝕』のような作品を書いたのか。『日蝕』では誰かと誰かを等しく天秤にかけるような、そんな関係性は一切拒否されている。通過儀礼の儀式を切り抜ける主人公はきわめて強固な主体の位置に置かれているのであり、阿部和重の描くような不安定な自己などは、こうした物語に向かうより前に排除されてしまう。日本全体が前後不覚に陥り、漠とした不安感に襲われていたこの頃(そうした傾向は今なお弱まりを見せないのであるが)『日蝕』のような強い主体の物語では、少なくとも(例えば村上春樹のような)親近感を獲得することはできない。
 であれば、『日蝕』を懐古主義的な文脈で理解しようとすることは誤りで、むしろ当時の知的流行から意図的に距離を置くことにより、新しい地平を切り開こうとする野心的な試みであったのだと解すべきではなかろうか?
 既に見てきたように、『日蝕』はその文体においてもプロットにおいても、精緻な構造が特徴である。それは巷間に言われる「天才」の語で片付けるよりも、ある種の「高度な技術」として見た方が、納得がいく。芸術作品よりは熟練した職人の作る工芸品に近い。
 職人は芸術家より卑下されるべきか?――答えはもちろん、否である。

 さて、興味深いテクストがある。『文学界』二〇〇〇年十一月号に掲載された、平野啓一郎による「『英霊の声』論」という論評なのであるが、無責任にも「三島由紀夫の再来」などと呼ばれてしまう平野が、自ら三島に言及した文章であり、実に読み応えがある。(同じ号に掲載された石原慎太郎の軽薄さとは、まさに好対照である)
 ここでの平野は三島の天皇観に寄り添う形で、三島由紀夫という強烈な個性に対して、慎重に、しかし執拗に「読み解く」作業を続けていく。一読して、「いい若い者がどうしてこんな古めかしいお題目に拘るのか?」と疑問を抱くところである。
 しかしこの論は見事である。平野はこの『英霊の声』という作品を読み解くことを通じて、三島がどのような天皇観を持っていたのかを読み解こうとし、それをもって一個の人間たる三島における肉体と精神の相克、神秘的合一の実現のための神の必要性、その奇跡が常に不可能であることの自覚、といった事項相互の結びつきを、鮮やかに描き出していく。(その手並みはひょっとすると『日蝕』などの小説作品よりも、さらに洗練されたものと言えるかもしれない)
 ここでの平野の論旨を乱暴にまとめると次のようである。
 三島において天皇の神的側面が重視されるとすれば、それは死を媒介とした神=絶対性との神秘的合一という恍惚の実現において不可欠であるということに他ならない。しかしその神秘的合一という奇跡はあらかじめ不可能であることが見えてしまっているのであり、こうした「到達不可能なものとしての奇跡」と「神的側面を失した天皇」と「肉体と精神の解決し得ない相克」とは、相対するものとして協奏するのだ。
 ――この結論は、何かに似ていないだろうか?ここで平野が見出そうとしている、肉体と精神の相克、到達不可能な奇跡、といった三島に特徴的な事象は、先に引いた阿部和重らが問題としているような、アイデンティティの齟齬、他者へと無限に自己を投影していくこと、といった事象と通ずるのではないか?
 であるとすれば平野啓一郎という作家は、阿部和重らの「現代的な(九〇年代的な)」作家たちが問題とするような事項と同じものを問題として見据えた上で、その問題へのアプローチの方法として、フーコーやドゥルーズやラカンやデリダに拠るのではなく、より原初的なスタイルの「物語」あるいは「語り」の力に拠り、さらなる高みを目指そうとしている、稀有な作家なのではなかろうか?

 今や本稿は以下のような結論に達せざるをえない。
 平野啓一郎は、明白な戦略的意図を持って『日蝕』のような「古典的な」物語を描いた。ここでいう「古典的」とは、単にその文体が擬古文めいていることとか、モティーフの神秘性のみに由来するのではない。それらはすべて、平野にとって「道具」に過ぎない。古めかしい語彙やモティーフによって、寓話の時代から続く「前−小説的」な「物語(大きな物語)」の構造をなぞることこそ平野の主目的であり、それにより物語のクライマックスとしての「恍惚」に容易に到達することこそ、平野の真骨頂である。
 それは例えば阿部和重のような作家が、現代思想を強く意識した舞台装置によって、「わたし」とは何であるか、という問題にアプローチしようとしたこととは好対照である。阿部和重が「思想」の道具を用いているのに対し、平野は伝統的な「物語」の道具を用いているのであって、それは「文学」を強く意識した野心的な試みである。
 したがって今平野の『日蝕』に読者として対峙したわれわれは、その技術的水準の高さのみをもって「天才」などと無責任に囃し立てることはせず、今、この時代にあえて、こうした「物語」を力強く、しかも精緻に描く平野の挑戦を、真正面から受け止めなければならないのである。
 果たしてリオタールの言うように、大きな物語は凋落したのか?
 果たしてJ=L・ナンシーの言うように、主体は清算の時期に来ているのか?
 もはやそんなことさえ疑うことから始めなければならないだろう。





〈参考図書〉


 本稿で引いてきた作品名を順に読んでいけば、私の考えたことの元ネタは大概バレるのではないでしょうか。『別冊宝島496 いまどきの「ブンガク」』所収のヤスケンの文章は、平野の技術の高さにばかり驚いてその先を見ることのできない、レベルの低い平野読者の代表例として、笑えます。
 ここでは平野と比較するために阿部和重を持ってきましたが、私は阿部の仕事をそれほど低く評価しているわけではありません。(若干何かがズレているな、と感じる部分はありますが)元来「思想的アプローチ」と「物語的アプローチ」があったとして、どちらが正解ということもなく、ある地点へ迫るのに道が一つであるとは限らないので、平野啓一郎のような仕事が文学において必要であるのと同様に、阿部和重のような仕事もまた必要なのでしょう。『インディヴィジュアル・プロジェクション』は読んでおいて損はないと思います。
 平野啓一郎は「物語の力」で勝負する作家である、とここでは位置づけましたが、「物語」よりさらにプリミティブな「言葉」の力で勝負する作家のあることを、特筆しておいてもいいでしょう。以前中原昌也の『あらゆる場所に花束が……』に対する書評(「王様は裸だ、と叫び出すことのできない哀れな大人たちのために」)でも触れたところですが、町田康の偏執狂的なまでの言葉への耽溺は、やはり群を抜いていると思うのです。
 ところで、この書評を書くために慌てて読み返した「『英霊の声』論」(文学界二〇〇〇年十一月号)なのですが、これが実に面白かったです。お近くの図書館とか古本屋とかで、『文学界』のバックナンバーが手に入るようなら是非ご一読をお勧めします。ついでにこの本の二九六ページ辺りに私の名前がちっちゃく載って……あ、それはどうでもいい。失礼いたしました。