スイヒラリナカニラミの伝説
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〈二〇〇一年一二月二二日〉
「ただいま」
僕は帰ってきた。
「ただいま」
雑然と散らかってはいたけれど、この部屋はひどく空虚で、がらんどうであるように感じられた。そこには真秀も里佳もアリスも、すいかもいない。そこらへんのがらくたの山をひっくり返してよく探してみれば、ガラス瓶に封じられた彼女の破片を探し出すことは、今でも可能なのかもしれない。だけどそれだけの根気はもう、僕にはなかった。
「ただいま」
僕は帰ってきた。だけどそれは単に、他に行く場所がないというだけのことかもしれない。どこかへ行く、なんていう選択肢は、僕にはもう残されていないのだろう、きっと。
もう、この世界の滅亡に、何度も立ち会ったような気がしている。茫漠たる荒野を眼下に認め立ち尽くし、絶望にかられたことが、いったい幾度あったろうか?だがそれでも今日も、鉄道は変わりなく走り続け、飛行機は躊躇なく飛び続けるのだ。死者の群を圧し潰し、瓦礫の山を蹴散らして、列車は今日も弾丸のように走る。轢き殺した者の肉体を喰らってエネルギーに変える、特殊なエンジンでも搭載しているに違いない。
テレビがつけっぱなしだった。だけど今日の放送は終了したらしく、画面を支配しているのは一面の砂嵐だった。ところでこの砂嵐には、何らかの法則性や約束事があって、それに従ってブラウン管を埋めているのだろうか。どうか、不規則で無秩序な、何の意味もない現象であってほしい、と僕は願った。
「ただいま」
僕の言葉こそが空虚だ。死者の他に誰も存在しないこの部屋では、僕の口を通って出た音声もすべて生まれ出た瞬間に死に絶え、ああ、だからこの部屋はこんなにも静かなのだ。スタンバイ状態に置かれた電化製品のいくつかは、じーっというノイズを流していたけれども、それだって岩でもひとつ置いておいたら、蝉の声みたいに染み込んでいってしまいそうだ。
ともかく、僕は帰ってきた。僕は生き残ってしまったのだ。それ以外のことは、結局何もかも不確かだ。そうだ。僕は帰ってきた。それだけだ。僕は生きている、だからこれからは、生き延びることを考えなければならない。
「ただいま」
それでも今日だけは、彼女のために、少しだけ祈ることができると思う。部屋の真ん中を少し片付け、僕は床に膝をつき、目を閉じた。からから、という透き通った儚い音が、耳の奥で潮騒のように微かに響いた。涙が一滴、音もなく頬を滑り降りていった。
〈了〉