スイヒラリナカニラミの伝説
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〈二〇〇一年XX月XX日〉
僕は走る。行き着く先も目指す場所も持たず、ただやみくもに、めちゃくちゃに走る。逃げられないことは分かっている、この世界は堅固なブラウン管にすっかり覆われていて、どこへ逃げ込もうにもアリスの胎内からは脱出できないのだ。それでも停止したら即座に死んでしまうような気がして、運動を止めることはできない。固定はすなわち死なのだ。
行く先に穴が開いていた。大きな穴だ。そうだ、すべてはここから始まった。再開しよう。ビッグ・マザーを粉々に打ち砕き、自由を手にする。そのために、再びこの穴をくぐって向こう側へ到達するのだ。僕は穴に飛び込んだけれど、途中でつっかえて止まってしまった。よりによって引っかかったのは、無用に出っ張っていた僕のペニスだった。ああちくしょう、何だってこんな時に限って勃起しているんだ。
「ファルスファルス、ファルシオン。ホントにまったくお笑い劇なのだワ」
聞き覚えのある声がする。ひどく腹が立った。この絶望的な状況で、革命ウサギの声は何と屈辱的に響くのだろう。
「ジョージィ・ポージィ、プディングにパイ。ローリィ・ポーリィ、ハムにほうれん草。意味なんてありゃしないのヨ、だってそれがコトバってものなのだワ。ピーター・パイパー、酢漬けのペッパー!きははははは」
うるさいな、そんなことは分かっている。堅固で絶対的だと思われた意味が、テクストがあっけなく崩壊する瞬間を、僕は見届けてきた。だけど同時に、崩壊したと思われたテクストが、システムが、亡霊のようにしぶとく復活する姿も目撃したのではなかったか?僕らの血管の内側にまで脈々と流れるこの世界の基本法則は、想像するよりも深く僕らの体内に根ざしており、これを打破しようとする試みはいつも、センチメンタルな解放の物語に酔いしれ、自由の創設から程遠いところで妥結するのだ。
「革命、革命!」
革命ウサギが甲高い声で騒ぎ立てる。それこそが犯人なのだ。勇ましく心地よい言葉に踊らされ、僕はビッグ・マザーの解体に加担したけれど、それは新たな支配者の誕生に寄与する行為でしかなかった。僕をこんな愚行に走らせ、絶望の淵に追いやった犯人は、この爽快な言葉だったのだ。だから僕は、かすれた喉に精一杯の力を込めて、反撃のための言葉を放った。
「スイヒラリナカニラミ」
革命ウサギはぴたり、と動きを止めた。そうだ、これだ。違和感に満ちた、何の意味も脈絡もないセンテンス。僕の皮膚を刺激するざらついた触感。それは、そこに言葉があることを思い出させてくれる。言葉がまるで無味無臭で透明な、自明のものであるというある種の信念、あるいは圧力が、僕らの皮膚にタールのように絡み付いて、窒息させようとしている。それを打ち破る呪文を、僕はもう手にしている。いや、もはや、その言葉が何であるかは関係ないのだ。早い話が、どんなセンテンスでも構わないのだ。
「スイヒラリナカニラミ」
僕は繰り返した。
革命ウサギはぬいぐるみのように静止し、真ん丸の瞳を見開いて瞬きもせず、僕の方を見ている。時折口元がもそもそと動いて、髭がぴん、と跳ねた。戦いは既に始まっている。僕は今度こそ勝利しなければならない。
「スイヒラリナカニラミ、スイヒラリナカニラミ!」
ああ、だけど口に出してみると、何と頼りないのだろう。重ねれば重ねるほど薄っぺらになっていくのはどうした矛盾だ。すべてのテクストから切り離され自由になったはずの言葉はコトのハは断片は、だけど亡霊のように立ち現れる解放の物語に足元を絡め取られ、ほんとうに僕が求める破片は僕の決して入り込めない領域に、永遠に到達できない場所から僕を呪縛するのだ。××って信じる?××って?
「スイヒラリナカニラミスイヒラリナカニラミスイヒラリナカニ、ラミスイヒラリナカニラミスイヒラリナカニラ、ミスイヒラリナカニラミスイヒラリナカニラミス、イヒラリナカニラミスイヒラリナ」
革命ウサギの脚の間には小さなヴァギナがひそんでいる。小さなちいさなちいさなヴァギナ。それはまさに僕の入りこめない世界であり、見ているうちに暴力的な衝動が僕の内側からわきあがってきて、そうだぼくはこの手にファルシオンを持っている。ちいさなナイフだ。だけどすいかをたたき割ったとほうもない害意がぼくを勃起させる。ファルスファルス、ファルシオン。スペードのエースは男根だった、そしてハートのクイーンはダイヤの兵隊を駆使して、だから母のヴァギナはあんなにみにくいのだ。
「きははははははは」
革命ウサギがわらいだした。ぼくは全身の血液がふっとうするような怒りにとらわれ、まっくろに輝くファルシオンは怒張して、ぼくは革命ウサギの首ねっこをむんずとつかまえると、ファルシオンでぶすりとくし刺しにした。剣のきっさきはたしかにウサギのちいさなヴァギナをつらぬいていた。ウサギのちいさすぎるヴァギナをつらぬくスペードのエースはまさに暴力そのもので、ぐしゃり、というにぶいかんしょくがぼくの手につたわってきた。
「キはははははハハははははハはは破ハはは端葉歯ハハハははハはハハ波葉は母」
ウサギは狂ったようなわらいごえをあげた。だけどこいつはきっと最初からくるっていたのだ。正気だったらセックスしたりぼっきしたりできるもんか。だってぼくらの頭上をおおうブラウン管はあっとうてきにがんじょうで、そらはこんなにもうつくしい。だからもう、どうしようもないのだ。
「スイヒラリナカニラミスイヒラリナカニラミスイひらりなかニラミスいヒラりナカニラみすいひらりナかにラミすキはははハハハははハいひらハきりなカはははハはにはラミすいキひハはラリなハはははハははハハは」
ああもうすっかりわけがわからない。きみがのぞんだのはこれだったのか?いっさいのテクストやほうそくやファンクションからかいほうされたさきにはむいみなだんぺんだけがちらばる。それなのにきみのみぎてはどうしてこんなにもうつくしく、ぼくはこんなにあおいそらをみたことがない。きみのにくをそぎおとしたぼくのないふはすいかをわったふきつながいいとしてはつろされ、くだけちったはずのてくすとはつうそうていおんみたいにおくそこふかくでみゃくうっているのだ。
こんなときでもせかいはぜつぼうてきにうつくしくて、えいがのわんしーんみたいにひこうきはまいちもんじのきどうをえがいて、ぼくとありすはてをつないだまま、ぶらうんかんごしにみつめたすみきったこのあおいそらのむこうから、かくめい!かくめい!とかけごえばかりいさましく、せかいのきょうつうげんごとゆいいつのてつがくにたたかいをいどむけれど、れんさてきなびっぐ・まざーをきりはなしたむこうがわにたちあがったのはあたらしいかいりつだった。はこのなかのねこのせいしみたいにわからないねこのすいかのせいしはごみすてばのおくでうすよごれたおんなのこのヴぁぎなにぶちまけられぼくがちちおやであるかのうせいもぜろではない。すべてのかくめいはじゆうのせつりつをもとめていたにもかかわらずかいほうのものがたりというひつぜんせいにせなかをおされてまえのめりにてんとうしたのだ。けっきょくぼくはかのじょのちつにさらにそのおくへとかいきする。
すべてのかくめいはこのなかのねこのせからないねこのすいしみたいにわいかのごれたおんなのこのヴぁせいしはごみすてばのおくでうすよぎなにぶちまけられぼくがちちおやであるかのないなかをおされてまえのゆうのせつりつをもとう。はじめていたにもかかわらずけっきょくぼくはかのかいほうのものがたりというひつぜんせいにせんとうしたのだ。じょのちつにさらにそのせいもぜろではめりにておくへとかいきする。ぼくらのことばはとうめんをうしなわせいなどうれいみたいにぐではありえずけいたいでんわぼうじゅばくするけんみたいにつめたくつしたかめはているのだけれど、ごなてくすとすなわちかいとでむすうのだりつがそのしょっかているのだとすれちむかうことがでばないくすとのしはあつをれつさせるこんぺんにぶんかいしていにたきないだろうか?それがかのてごつごうであればしくかくそれこそまさめいとよいものではあるぶにふさづくことをよていわしのだが、ひつぜんせいのけれどすべてのかくめいにこのこいつまづいたようかくめいもしにあらかじめつまされている。
みらすいひらりなかにらみくちといひいすとらりひい、しかくいとらそにちりたないとかにらみちみしりにこいすちかいしも、いみはすらもかくいせすいしにそちもいみからはてちみかこなかちりりすいひらりな、かにらみとてにかくかくいいさそいせかにらみらはかくいくなみきちすに、ちみすいひらりなかにらみにみぬよえおくちひいはらりりらていしかくいいさちも、せりいらはかくいはすいみそくすいひらりなかにらみ。すいひらりなかにらみ。
気がつくと僕は荒れ果てて乾いた大地の真ん中で、赤黒く湿った塊をペニスに巻きつけて手でしごき、マスターベーションをしていた。その肉の塊がかつてウサギであったことを思い出すには少し時間が必要だった。僕はその哀れなウサギに、あるいはかつてウサギであったものに何の同情も持たず、鼻をかんだ後のちり紙みたいに、無造作にぽい、と投げ捨てた。