コミュニティ(地域)の崩壊


      進行するコミュニティ(地域)機能の低下現象とコミュニティの崩壊


  日常住民同士が声をかけ合い、果たして困ったときに助け合いの精神がベースにあるのだろう
  か。H県南東部の広域公園や街の中を歩いていて感触を書かせていただいた。温度差あり。

  KB市は仕事柄、訪れる機会が多い。昨年、S区のある郵便局に郵便物を投函するために立ち
  寄り、駐車場に車を止めようとすると、たまたま近くを通りかかった高校生が「こんにちは」と笑
  顔で挨拶をしたときは気持ちがよかった。知らない他人同士だが、ごく自然で違和感を感じなか
  った。

  特徴として都市部の下町ほど住民同士のつながりがよく、新興住宅地や保守的で今尚、封建
  的な因習が漂う市町(=功利的で気位が高いほど地域としての機能が低下していることがう
  かがえる。かかる近郊都市に他府県や同県の他の市町村から移り住んだ人々がとけ込めてい
  ないことも要因。

  14年前にSD市ニュータウンにあるスーパー・サ○イの階段裏で中年の男性が少年グループか
  ら暴行を受けているのに買い物客が見て見ぬふりをし、警察への通報が遅れたために被害者
  男性が重傷を負うという事件があったが、これにはすっかり閉口した。

  「さわらぬ神にたたりなし、厄介なことには関わりたくない、自分がかわいい」という保身術があ
  りありと見えている。福祉優先とか人権尊重の看板を街角で目にするが、それらがただの飾り
  物(かっこうだけ)になっている。

  もう1件は、私が広域公園があるK市内を車で走行しているときに理解できない不思議な珍事
  象に出くわしたことがある。携帯電話をかけるために左の指示器を出して道路脇の路側帯に一
  時停止しようとしたところ、後方の追尾していたトラックの助手席に座っていた若い男に突然、
  「おい、こら、だぼ!(播州弁であほ)止まらんとまっすぐに行かんかい!何で止まるんや。」と
  車上から罵声を浴びせられた。このような事例は都市部ではあまり見られず、地方の市町で
  発生した珍例の一つで、規範意識の無さを露呈している。

  KW市に住む私の知人の女性Nさんがコンビニで買い物を済ませ自転車で帰宅しようとすると、
  男子中学生3人が彼女の自転車を突然足で蹴っ飛ばして立ち去った。現場を目撃した彼女は
  「こら、待ちなさい!」と叱責しようとしたが、彼らの逃げ足が速く、姿を見失ったという。彼女は
  かかる理不尽なことをされたことは放置してはならないと即座に学校に申立てをしている。理
  不尽なことをされた場合、被害者が泣き寝入りをしたり、見て見ぬふりをする通行人が多いの
  が悲しい現実だ。Nさんのような毅然とした態度をお持ちの方は少数であろう。

 
コンビニの前で中学生、高校生がたばこを吸っていても店員や買い物客が直接、注意するケー
  スは少ない。筋道としては、店員が生徒の年齢を確認した後、保護者に連絡をし、現場で指導
  をすべきであるが、すべて学校の先生の指導に委ねているのが現実であろう。かつては、町内
  に「おっちゃん、おばちゃん」と言われている人々が存在し、我が子のように近所の子供たちに
  接していたものだが、そういう人々がいなくなっているように思う。

  KT市のY町にある「ほっかほっか亭」の弁当屋のおやじさんは人間ができていて気さくで暖か
  い心の持ち主であった。昨年、近くにもう一つの大型チェーン店ができたため、ここの売り上げが
  伸びず、やむを得ず閉店に追い込まれた。そのおやじさんに、「長い間、真心弁当を食べさせて
  いただき、ありがとうございました。この店がなくなると思うと本当にさびしいです。」と話すと、
  彼は「こちらこそ長い間お世話になりました。店をたたむことになりますが、自宅はそこのスー
  パーの近くですので、いつでも遊びにいらして下さい。」という暖かい言葉をいただいてとてもう
  れしかった。北隣にあるすし屋が配達には距離の制限を設けているのに、ここのおやじさんは
  市内どこでも配達OKであった。電話注文する際も「ほっかほっか亭です。あ、○○さんですか。
  いつもお世話になっています。」という応答には好感がもてた。

  このほっかほっか亭から北に約1km向かうとコンビニのセブ○イレ○ンがある。この店の若い
  男性店員は言動が理解できない人物である。私がこの店で買ったホットレモンを飲んだ後、備え
  つけの缶入れ用のボックスに入れようとすると、「おい、こらぁ!自分が飲んだドリンクの缶とごみ
  は家に持って帰らんかい!」と怒鳴りつけられた。
店の外にある燃えるごみ用のボックス、ペット
  ボトル用のボックス、缶入れ用のボックスは何のために設置しているのだろうか。?????
  店の従業員と地域の住民とのコミュニケーションはどうなっているだろうか。

  これからお客様相手の仕事(小売店、スーパー、コンビニだけではなく、ホテルや銀行、JA、JP、
  役所の受付)では単に物を売ればよい、事務的に機械的に処理すればよい、というのは通用しな
  くなる。接客する人物のパーソナリティを売る時代に入っている。応対マナーが悪かったり、無愛
  想であったり、一つのことに病的にこだわりが強い従業員(スタッフ)がいたり、プラスアルファ
  (奉仕)の精神がないとお客さん(訪問者)は気を悪くする。二度とこいつのところに来るものか
  (二度とけーへんで)と言う結果=客足が途絶えるようになり、悪循環が重なると、最悪の場合
  は店がつぶれてしまうこともある。小売店だけでなく現に小生の住む地域の大手のスーパーマッ
  クスバリューやコンビニの7イレブンがつぶれているのを見かける。

  繁盛するかしないかは立地条件の善し悪しが第1に左右するが、それ以外にもプラスアルファの
  何かの要因があるように思われる。

  利用客は店内で買った飲料水の缶を飲んだ後に備え付きのボックスに入れるか、車の中で飲ん
  だジュースの缶をボックスの中に入れるかのどちらかである。コンビニやスーパーの備え付きの
  ゴミ箱は紙類、ベットボトル、缶、瓶(びん)の4種類あるが、従来は外に備え付けてあったが、最
  近は店内に移動している店が増えている。そして、客がそれぞれ缶類、瓶類と分別して入れてい
  るかどうかを店員が「監視」している光景が見られる。本の立ち読みにしても然り。週刊誌、月刊
  誌誌は100円、200円では買えない。400円以上もする高値なので買う方としてはじっくり読む値
  打ちがあるか内容を確かめてから購入する人が多いと思う。かかる事情は考慮せず、「立ち読み
  禁止」にこだわり、店内をうろうろ巡回し、監視されたら、買う気にならないのがバイヤーの心情で
  あろう。かかる小手先優先の手法はこざかしさ(=猿知恵)と誠意の無さを露呈している。早い話
  が面倒くさいのであろう。

  ドライバーにしてみたら車の中の空き缶や紙類を入れる店外に備え付けてあるボックスは非常に
  便利でありがたいものである。店員にわざわざ「家に持って帰らんかい!!」と言われたら、誰も
  が腹が立ってしようがないだろう。

  一度、店外にゴミ箱を備え付けてあるコンビニA店と店内に備え付けてあるコンビニB店をどちら
  がお客さんの数が多いかどうか観察したことがある。どちらも立地条件がよく同じ系列の店であ
  る。1時間以内に出入りする客の数(平日夕方) A店=200〜250人 B店=100〜150人 

  最近、事業所(コンビニ、スーパー、工場、事務所などの)の中の(ゴミ処理を含む)清掃をするの
  をいやがる社員が増えているという。物を単に売ればよいというのではないということが理解でき
  ていないという実情がある。私は30数年役所関係の仕事をした後、退職し、社会福祉施設や
  食品工場、運輸倉庫業の仕事に従事してきたが、最初にするように指示された仕事は、トイレ掃
  除とフロアの清掃、社外のゴミ拾い、エアコンのフィルターの掃除である。店内、社内の片づけや
  清掃も仕事の1つであるから社内の清掃を嫌がる社員は雇用すべきではないと思う。物ではなく
  「真心」「人柄」プラスアルファ(セールスポイント)を売るとはどういうことか一考を要する。

  店の入口には「地域に奉仕する店として・・・・」というキャッチフレーズが掲示してあるが、果た
  して地域に奉仕している店だろうか。店側が客に「こうしろ、ああしろ」と注文をつけている実態
  がうかがえる。ひどい話が客に「店内のごみをかたづけろ、空き缶は持って帰らんかい!」と
  注文をつけている空気が読み取れる。本末転倒の事象がもろに表れている。

  買い物をした後に店内のトイレを利用しようとしたところ、トイレの前に「商品を買わないお客さ
  んは使用しないでください!」という張り紙してあるのにはすっかりまいってしまった。

  変ちくりんな事例は他にもある。クリーニング店Yへ秋物セーターを預けに行ったところ、「猫の
  毛がついていますので預かれません。ガムテープで付着した毛を落としてから再度、持って来て
  くれませんか。お宅のズボンには泥がついているようですよ。泥を落としてから持って来てくだ
  さい。」 空いた口がふさがらないとはこのことだろう。猫の毛や泥がついていたらY店の店員が
  落としてきれいにしてからドライにかける・・・これはクリーニング屋の本業である。何で客の私が
  金を払って汚れを落とさなければならないのか不思議でならない。珍事=世界不思議発見?
  あほらしくなって別のクリーニング屋K店に預けることにした。Y店は代金も高く男性用スラックス
  1枚550円かかるのにK店は土曜日に預けると3割引きの385円の代金である。1年以上Y店に
  預けずにいるとY店から電話がかかってきた。「Mさん、ご無沙汰しています。最近、お顔を見て
  いませんが。お元気ですか。今、冬物を9月末まで3割引きでやっていますのでご来店ください」
  何で平日に割引セールをせず、この時期にだけ安くするのか訳がわからない。二度とY店に行
  かないことにした。

 
本末転倒の事象が見られる=
  どちらがお客さんか経営者か、公人か私人か、患者か医師か、若いか年寄りかがわからず立場
  が逆転している? めだかの学校=だーれが生徒か先生かみんなでおゆうぎしているよ〜。

 
いろんなタイプの人間がいるのは理解できるが、表現の仕方が一方的でストレート過ぎて相互の
  コミュニケーションが成立しない(ことばのキャッチボールができない人たちが多い)場面にしば
  しば出くわすことがある。話し手が表現方法にワンクッション置くと、聞き手も受容しやすくなるだ
  ろう。

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崩壊度のチェック



1.頭の中は「厄介なことには関わりたくない。」という精神構造。困っている人を見かけても手を
  貸そうとせず、素通りし、見て見ぬふりをする。辛さや痛みを共有できない。 (=感性の欠落)
  しんどいこと、面倒なことは誰か特定の人に責任転嫁をする。自分は見て見ないふりをする。
   

    
「人に迷惑をかけてはいけない」ということにこだわり過ぎ。程度によりけりで他人様に迷惑を
   かけること=悪と決めつけるのではなく、関わりを持つこと=迷惑をかける=許し合える、支
     え合える(=軌道修正できるような)人間関係も必要であろう。

     1昨年、全国で100歳以上の高齢者の所在が297人以上も不明になったのは異常事態であ
    る。地域社会の中で人間関係が希薄になっていることが浮き彫りになっている。煩わしいこと
    には関わりたくない、回避したい、目先のことしか考えないという精神構造である。 

    地域をみんなで良くしようという認識は皆目ない。誰かがやってくれるだろうという他者依存型
   である。

2.気配りと声かけをしない。「ご苦労様です」「お疲れ様です」「助かります」「おかげさまで」

3.功利主義最優先。必要以外のことをしようとしない。ノルマ(規定量)が終わるとさっさと帰宅
  する。プラスα=ハンドルの遊びがない。奉仕の精神がなく、
功利主義優先で自分のことしか
  考えない。
脳回路にプログラムされたこと以外のことはしない。(=ロボコップ)

  
一言多い方が人間味を感じ、妙味があるのではないだろうか。

  
心のむだも時には必要。関西の方言で心にムダがないことを=アカンたれ(開かん)という。
  「むだ使いをするな」と「心のむだ」は全く意味が異なる。功利主義者はとかく早とちりが多く、
  とらえ方が短絡的である。回り道(ムダ)も心の栄養(=耕し)になり、感性が備わってくる。
  仏法では「心のむだ、心を開くこと」が必要。開眼は目で聞いて耳で見るということだそうだ.. 

  
心のむだがおわかりにならない功利主義者(=ロボコップ)は、エアコンはじゃんじゃんつけ
  っぱなしで一向に省エネを実行せず、動力とエネルギー資源のムダ使い=環境汚染に拍車
    をかけるという不可思議な行動(=珍行動)が見られる。

  日本の家屋にも「ムダ」がなくなってきている。縁側=来客者と家人が肩肘張らず話をする
   場所、人と人との縁結びの場という意味がある。土間、納戸もほとんど見かけなくなった。

  ハード面(物理的な面)のむだは極力避けなければならないが、ソフト面、文化面、精神的な
  面での「むだ=心の余裕」は大いに必要である。 崩壊地域はハードとソフトの「むだ」が逆に
  なっている。(=物の「むだ」、労力の「むだ」多し、心の「むだ」は無し)
    資源とエネルギーの浪費=地球環境の悪化

   
やらなくてもよいことに時間と金と労力を費やしている場面に遭遇することがよくある。
 
   「忙しい、忙しい」と言う人は本当に忙しいだろうか。
  ある会社の上司が若い女子社員に、「この商品の請求書を書いてくれないか。」と頼むと、
  彼女曰く、「今、自分の仕事で忙しいですから。他の女の子に頼んでください。」
  
  知人の外国人に言わせると、「忙しいと言う人ほどひまです。本当に忙しい人は、心に余裕
  をもち、全体に気配りをしながら、効率よくてきぱきと仕事をするものです。自己中心的な人
  ほど、やらなくてもよいことに、ちんたら、ちんたら(だらだらと)時間と労力を使いすぎている
  ように見受けます。」

 ◎家族がいるから忙しい、家族がいない者は楽そうでひま、という考え方はおかしい。
  みんな同じ土俵(どひょう)ですもうをとっているわけで条件は同じである


   
玄関のブザーが鳴ったら、近所の人のあいさつではなく、集金人か、新興宗教の勧誘か、政
  治団体のビラ配りのいずれかである。まともな訪問客はいないものかと考えるとうんざりする。
 

4.地域に大型スーパー店や大型チェーン店が次々と並び、地域の小売店の売り上げが激減し
  ているという現象。昔は「青空市場」で地卵、地元で生産される野菜、果物、魚などがよく売
  れたものだが、最近は客がまばらである。店主と住民のつながりよりも「便利さ」「功利主義」
  だけが先行しているのが特徴である。店のオーナーとの雑談を通して地域の情報を入手でき
  るはずだが。

  
大型スーパーやチェーン店を利用することは決して悪いことではない。しかし・・・・・・

    スーパーや百円ショップに多様な客のニーズに合わせた商品を注文できていない。
  例えば、単一の乾電池が売り切れてしまい、商品が一つも残っていないとする。
  店長は商品が売り切れたことに気がつかず、客から商品のことを指摘されるまで注文しない。
  スペアカードを用意するということがわかっていない。

    紳士服の専門店で、S寸、M寸、L寸、LL寸の商品で売れ残りが多いのがL寸、LL寸、S
  寸である。顧客のニーズの割合は大体、S寸(1):M寸(4):L寸(3):LL寸(2)かまたは、
  S(1):M(5):L(3):LL(1)であろう。Mが一番ニーズが多いにもかかわらず、どれも均
   等に並べてある。追加注文ほど無駄な労力はない。

    書店、レンタルショップ、飲食店(ラーメン店、うどん店)、弁当屋、学習塾等個人経営の店は
  つぶれているところを多く見かける。書店は、コンビニやスーパーの中にある販売店、レンタ
  ルショップはTSUTAYA、弁当屋はHOT MOTTO等の大手のチェーン店のみが生き残ってい
  るのは消費の低迷に起因するのだろうか。

  個人経営の「街の電器屋」さんも経営が大変だと聞く。上新電器、エディオン、ヤマダ電器
  店など大型電器店は賑わっているように思うが。単に商品を売るだけでなく、高齢者のお客
  さんが今後、増えていく中でエアコンのフィルターのそうじ、照明器具の取り替えなどアフタ
  ーサービスが重要になってくるだろう。家電販売店のオーナーの知り合いで電気工事の免許
  を習得されている人が増えている。

    後継者がいないというのも大きな課題である。


  
<販売法の推移>薬品の販売例

  (1)小売り店 →(2)小売り店(チェーン店)→(3)スーパー →(4)コンビニ →(5)通販

        (1)→(2)→(3)→(4)→(5)  右へ行くほどBuyerにとって楽で便利。
       足を運ばなくなる。横着になる。=足腰が弱る。肝要なのはマメに足を運ぶことである。


5.高齢者と若者が逆転するという珍現象。
  中高年が元気で、若い方たちが覇気(はき)と感性が欠落し、老人化している。

   
いよいよ20代、30代、40代のおばあさん、おじいさん、60代、70代の青年の出現だ。 

    便利で楽な方法は、体力のない中高年の方たちに譲るべきだが、現実には若い奥様
  (=若おば、若年寄)たちが楽をしようと機先を制する姿を目にする。
  

  若い人が人間的に成長しておらず、育っていない。猿の小手先の技術は優れているが・・・・
   賢さ、器用さのみが先行し、人間的な幅がない。
アホになれない。なりきることができない。
  みせかけ、虚偽、偽装行為が目立つ。仮面をかぶっていることに気づいていない。

 
謙虚さがなく自分をエライ、賢いと思う人間はもうすでに終わっている。=本物のアホ=愚鈍
  なまくら。

  自分はまだまだである。一生涯勉強し続けなければならないと
向上心を持ち、前向きの姿勢
  を持っている人=自分はアホと言える人ほど本当に賢い
のではないだろうか。
  
   人が見ていないところで職場の清掃をする、トイレそうじをする、履き物をそろえる、あいさつを
  する、励ましとほめ言葉をかける、といった小事を心がけることが肝要と言える。  


  
結果を先に気にかける(=打算的である)のはもう少し先で、経験を積んでからでよかろう。
  結果はどうであろうと、模索的にいろいろな方法でアプローチするのは若さの象徴である。 

6.住民同士が「監視」し合い、相手の顔色を常にうかがう。気に入らない人を見かけるとすぐ
  
に電話で垂れ込む。枝葉末節的なこと、細かいことに異常なほど執着する。 

  
ゴミの収集方法が異常である。収集者が楽をし、住民がしんどい思いをしているという現状
   
は本末転倒であり、おかしい。住民の中には腰痛の一人暮らしの高齢者も増えているにも
  
かかわらず、かかる現状への配慮は皆目なされていない。

  ゴミ袋も燃えるゴミ用が有料で1500円の負担がかかる。黒のゴミ袋は禁止、透明の袋にし
  ろ、そして、マジックで利用者の氏名も記入しろ、(=個人情報に関わり、人権侵害に相当
  という指定がある。指示通りにしなければゴミは置き放しにされる市町もある。  

   
固定観念、先入観で人を観(み)る。あいつはあんなやっちゃ。しゃーないな。
   固定観念の例:「高齢者と女性にIT(アイティー)は無理。資格を習得するのは遅い。老いら
            くの恋はむだなこと。」
           「女性は子育て、育児、炊事、洗濯等の家事に専念すべし。」
           「男たるものはこうでなくてはならない。」
                        「九州出身者は酒に強い」・・・(必ずしもそうではないが)・・・
           「海の近くに住む人は泳ぎが得意である」
           「南の島の出身者は夏に強い」・・・本土の方が暑く夏に弱い人が多い・・・
                        「トラックの運転手は気が荒く雑である}=偏見で誤り。
            
→優秀なドライバーほど紳士的で礼儀正しいというのが真実である。 
   
7.規約をまちがって犯した場合、事前に1度目は注意、2度目は警告というステップ(プロセス)
    を踏まず、
突如、「おい、こらぁ!」と怒鳴り(どなり)込んでくる。   

8.◎ 他人のあら(欠点)は見えるが、自分のあら(欠点)は見えない。(批判精神旺盛) 
    
(人の不幸を喜ぶ、人の失敗や不幸をさかなにする輩=居場所がない、存在が受容され
     ていない輩)  

9.本を読まず大人も子供もゲーム(視覚情報)に没頭し、ヴァーチャルリアリティ化。本屋さんと
  
レンタルショップが町から姿を消しつつある。活字を通して想像力が育たない。映画の名作も
  見ようとしない。ただ、おもろかったらよいという精神構造である。

10.地域猫・捨て猫の扱い方が粗末。生き物の(猫)のポイ捨てを平気でする。(=動物保護法
  違反、懲役1年、罰金50万円) 
遺棄された猫を拾った人が世話をするのにどれほど大変か
  は眼中にない。

  
住民が暖かい目(思いやり)で地域猫(生き物)を見ようとせず、じゃま者扱い。社会的弱者
  に対しても無頓着。バリアフリー化はほど遠い。動物愛護モラルが浸透していない。

   「動物(犬や猫)は好きなやつに世話させんかい!大の大人が犬や猫の保護活動をするとは
   なさけないやっちゃ!動物保護は子供にさせんかい!」というレベルの意識=生命軽視。
  道路上で事故死している地域猫の数が多い。近くを車で通過する際はクラクションを鳴らす
  等の思いやりの心がドライバーには必要。轢いた後は後味(あとあじ)が悪いはず。

    小手先の技術の重視=
人間の姿をしたこざかしい猿とロボコップの数の増加 
                  ソフト面(=人材の育成と登用)を軽視し、利用価値のないハードウ
                  ェアの導入にむだな経費を費やす。   

   
猿は人の話を聞かない。受容能力(CAPACITY)の欠如か? 
                                                   
   年長者を敬わない。10年選手と30年選手が対等の口をきく。お猿さんが好きなことばは
   「自立」である。人間はお互いに関わりをもたなければ生きていけないのに、1に自立、2
    に自立、3に自立と強調する。言っている本人も自立できていないにもかかわらずだ。
     相当、無理をしている。
   

11. 周囲を見渡すと自然が減ってきており、見せかけの「造られた美=人工美」が目立つ。

12.規範意識、連帯意識の欠落
   横のつながり=連帯意識が希薄。労働組合が存在しない。
   大切なのは中庸であること。猿は右傾化=縦割のみを好む。共存、共生という日本語を
   知らない。

     地域カーストが存在し、(特定の縦割りグループ)が勝手に動き、牛耳る(ぎゅうじる)。  
  
  
高齢者、独居の人、専業主婦等の相談相手がおらず精神衛生上悪い。
   乳児、幼児虐待の大半は、専業主婦が孤独感に苛むことに起因している。 
  
  
空き巣ねらいと車上狙い(窃盗犯)が多発。
  

   
一般市民による巡回パトロールを目にするが、真に地域の安全を守るという意識があるのだ
  ろうか。「やらんなしゃーないさかい」という義務感で動いているように思える。

13. 運転マナーが悪い。車間距離が短い。譲り合いの精神が感じられない。先へ行きたがる。
  
事故発生件数が多い。This is our road. ではなく、This is my road.

    現実に2012年9月10日の午後にK市内の同じ町内で2件の追突及び衝突事故が発
    生した。
同時多発事故発生 

       
2017年4月、5月、7月にもたて続きに乗用車同士の衝突事故が起こっている。
    1件目は
4月下旬、K市北野 滝野インター入り口の交差点の真ん中で2台の乗用車同
    士が衝突。
        2件目は
5月2日同市喜多中国道下交差点(ヤクルト販売店横)で、S社2トントラックと
        A社4トントラックと軽乗用車3台が正面衝突するという事故、
        3件目は
同日、同市上滝野JR加古川線滝駅近く線路沿いの県道で60代女性が運転
        する軽乗用車が電柱に衝突し、大破するという事故。
       
5月25日は同市山国384番地の県道372号で軽トラックと軽乗用車が衝突。
       
5月28日には社51-3税務署横でバイクと軽乗用車が衝突。
       
7月の上旬には国道372号線(でかんしょ街道)でスピードの出し過ぎによる死亡事故
    が発生。
        性懲りもなく、8月23日には国道175号線○総合庁舎前の交差点で乗用車が右折しき
     れず中央分離帯に激突し大破。      
       11月29日午前11時頃に社○河高の県道で乗用車の破損事故が発生。坂道渋滞を引
     き起こし帰宅途上の市民に迷惑をかけた。
       12月27日午後2時30分頃、K市新町交差点より北側50m中古車販売店GULLIVER近く
     で乗用車同士の接触事故。12月28日K市滝交差点横のスーパーJAPANの駐車場内
     で軽トラックと軽のワゴン車の接触事故が縦続きに発生。

       2018年4月22日 午後12:30頃 山国口交差点で自動車とバイクの人身事故発生。
    ったく何をやっとんや〜と言いたくなる。5月16日 午後6:00頃 嬉野口交差点の東10m
       の地点でまたもや人身事故発生。けが人が救急車で搬送された。性懲りもなく、5月25日
    午後6:15頃 嬉野口交差点近くで乗用車2台が接触事故を起こした。異常事態である。
       7月13日午前8:30頃 K市小沢(厚利交差点30m手前)県道564号で自転車と乗用車の
    接触事故。
10月11日5:30K市藤田の県道(学園道路)で乗用車同士の接触事故。
       最新版では,11月30日20:00頃 嬉野交差点近くのふる○もとクリニック前の道路で軽
       乗用車の衝突事故。
12月19日20:00頃 滝野西交差点近くのバイク店前 乗用車事故
   
12月21日20:00頃 新町交差点近くで乗用車事故 ったく何をやっとんや〜と言いたく
    なる。  上記は小生が目撃した事故現場だが、実際の件数は他の場所を合わせるともっと
    多いはずである。

 
 <最新版 タテ続きに発生>
  
  2019年1月18日20:00 社総合庁舎東側クリーニング店前人身事故発生。1月22日12:
   
  00 同市上中フレッシュバザール駐車場のフェンスに軽自動車が衝突し、フェンスが破損。
      2019年2月3日13:00 同市同町 ジュンテンドー駐車場内で軽トラと乗用車の接触事故
      3月12日11:00 同市上中 フレッシュバザール駐車場内で車同士がまた接触事故
    
4月9日22:00 同上中 滝野インター交差点ホテルB&B前の国道175号線で重大事故
    
4月10日11:00 同市北野化粧品店前の県道で乗用車同士衝突。 4月22日10:30 また
   やっとる。今度は重大事故。同市山国交差点で乗用車同士が衝突。軽乗用車が横転。
   
4月14日2:15 同市西古瀬市道で軽乗用車が電柱に衝突 5月23日17:00 同市南山東
    交差点、ひょうご東条IC近くで乗用車同士の接触事故。
     7月31日20:00 同市上中ホームセンター「ジュンテンドー」駐車場でバイクと乗用車が接
   触事故。
8月17日11:00 同市松尾播州農機販売前・出水交差点で乗用車の事故。
    17日に続いてたて続きに今度は
8月18日11:30同市社(やしろ)社総合庁舎前の交差
      点で追突事故発生またやってしもたか! 
11月10日昼、同市セブンイレブン社店駐車場
    で車両接触事故。 

   
<またもタテ続き>
    
12月9日19:00 同市下久米・県道564号線で乗用車同士の接触事故。12月10日17:00
     嬉野・みらい保育園前・乗用車とトラックの接触事故 
12月12日12:00 嬉野LAWSON前
    乗用車事故。またまた、
12月16日10:00同市厚利LAWSON前 乗用車事故。 
      もう、メチャクチャ。住民の倫理観、規範意識、人権意識がゼロのボンクラ市長ではアカン。

    <また同時多発事故 完璧にアカンでK市は!>

    
9月30日9:00 K市東古瀬 レストラン明日香近く県道567号と同時刻に県道567号と国道
     175号を結ぶ東古瀬の農道でも自動車接触事故。同日K市下滝野、播磨中央公園交差点
     内で夜の18:00に乗用車事故。 
    
10月2日夜20:00に国道175号社総合庁舎前交差点で乗用車の事故。 
     
11月12日19:00 同市中国道滝野社インター出口北野交差点で軽乗用車と自転車の接触
   事故。
   

     <何をやっとんじゃ〜>


     
公道をお互いに譲り合いするというモラルが感じられず、自分の私道とお考えになって
    いるのではなかろうか。
お前のもん(道)はわいのもん(道)や文句あっか。 

    白線が引いてある一時停止すべきところで私が一時停止して左折しようとしていると後ろ
    の車が何度もクラクションを鳴らして「早く行かんかい!」と言わんばかりである。この場所
    は何度も警察官が取り締まりを行っている場所である。  

      マナーといえば運転だけではない、スーパーでの買物中に通路をふさぎ、携帯をぺちゃ
    くちゃかけながら惣菜置き場から商品をかごに入れている女性も見かける。
    わいの物はお前の物、お前の物はわいの物。

14 .住民の多くにAEDの存在と心肺蘇生法が浸透していないのでは。

 

 


15. 核家族化。親類縁者が1ケ所に集まって(わいわいがやがや)話し合いをしたり、互いに
   情報交換をする機会=ふれ合う場がほとんどなくなってきている。夫婦2人と子供1〜2
     人いてもまだまだ半人前である。1対0.5の人間関係である。3世代以上の多世代との
   交流の経験を通してはじめて1対1の対等な人間関係が構築できる。


16.「かわいそうやな」と同情し、ただ突っ立って見ているだけで何一つ手助けができない。
    決まり文句は「しゃーないさかい、あきらめろ!」
何か自分にできることはないですか、と
   なぜ言えないのだろうか。
 

17. ことばのキャッチボールができない。コミュニケーション能力の欠如。多世代との交流、
   及び苦労(下積み)の経験がない。
とんとん拍子のプラス体験のみで挫折の体験、マイ
   ナスの体験がないから、他人の苦労やしんどさがわからない

    
苦労をしているのは自分だけであると妄想している。他人の苦労はわからない。相互に
   理解しようとせず、一方的に思いこむ。 

     ボールの投げぱなし(言いぱなし)でキャッチをしない(受け入れない)。

     人のことはどうでもよい、自分さえよければよいという精神構造。人を大事にし、いたわる
   気持ち=思いやり、感性の欠如。痛み、辛(つら)さが共有できず、人の苦労がわからな
     い。単一思考であり、多角的な見方(=複合思考)ができない。人物としての器が小さく、
   多様性、異質なものを受容することができない。このような人物が多く見受けられるとこ
    ろである。

   使う方は悪くなく、使われる方が悪い、加害者は悪くなく、被害者が悪い、だます方は悪
   くなく、だまされる方が悪い、要領の悪い者が悪い、運の悪い人が悪いという価値観がま
   かり通るようになるとどうなる? 感情表現の乏しいロボットとこざかしいお猿さんの大量
   生産で末恐ろしくなる。 

18. 村落共同体の崩壊は地域社会の崩壊を意味する。農村部の村落共同体、及び都市部
   の下町(江戸時代の長屋=ながや)の庶民文化ほど貴重なものはない。
                                                                     
   Mutual advantage(相互利益)、Share joy, sorrow, and sweat.(しんどさや苦労を
   シェアする=共有すること)が相互コミュニケーションの第一歩である。

      こざかしいお猿さんは
相互利益という日本語がわからない。脳回路が単純(単層構造)
    であり、多面的、多角的に物事をとらえることができない。そして、人の話を聞く耳を持
   たない。話し手が表現方法にワンクッション置くと、聞き手も受容しやすくなるだろう。

      社会的弱者=高齢者、病気がちの人、体の不自由な人、経済的に苦しい人、小動物(愛
    護動物)等がまず大事にされているか?社会保障が優先されていないのは後進国と変
    わりない。

     
崩壊地域に住む者の中には体力がありながら、何もせず、怠惰でごんたくそ(規範意識
    に欠ける者)も弱者に入れるべきであると言う者がいるが、これはとんでもない話であり、
    めちゃくちゃな論法で ある。健康で体力があれば何でもできるはず。

19. 公共の交通機関(電車、バス)を利用せず、どこへ行くにも車である。人間の体で一番
   丈夫でなければならないのは下半身、特に足腰である。

   車は確かに便利な乗り物であるが、年がら年中、車に乗っていると足腰が弱くなり、肥
   満、高血圧などの成人病を罹患しやすく、性質が無精になったり、思考が短絡的でプロ
   セスを軽視しやすいじっくり時間をかけて思考し、話し合いができないことばのキャッ
   チボールができない、情報交換ができない、ゴーイングマイウェイ型の人間が果てしなく
     増えていく

   地方都市や郊外の静閑な住宅街の中には電車の利用者がなくなり、鉄道のローカル線
   が廃止になった結果、 鉄道の駅やバス停がなくなったところも見かける。本数は少ない
   が朝方と夕方の時間帯に電車やバスを利用している人々の姿を見ると安堵する。

   交通の便が悪い山あいの村からの車での通勤や仕事で商売をしている人の車の使用は
   はしかたがないことだが、電車もバスも走っている交通の便がよいところでも車で通勤す
   す人が多いのが実情で、肉体的にも精神的にもメリット(利点)はない。悪天候の時とか
   急な用事がある時は車で移動するのはやむを得ないが、それ以外の時は公共の交通機
   関をできるだけ利用するのが健康上、望ましい。

   会社や役所、学校によっては(特に20代〜30代の若い社員、職員)自動車での通勤は控
   え、公共の交通機関を利用させているところもある。
    
   ある日曜日の朝、K町のK駅からA市の科学博物館へ電車で行ったことがある。K駅は
   無人駅でホームの前に広がる水田の景色を見ていると心が安らいだ。K駅からK市で快
   速電車に乗り換えてA市のA駅で降り、バスで目的地の科学博物館に向かった。

   自動車で行くと50分たらずで到着する。電車だと乗り換える時間も入れると約1時間30分
   かかる。自動車で行く場合、ひたすら運転に集中しなければならず、周囲の景色にとらわ
   れてはならず、味気ない部分が感じられる。急いでいる場合は別だが、そうでない場合は
   公共の交通機関を利用するのは妙味がある。車外の景色を見るのも楽しいが、電車やバ
   スの中の人物観察も結構、おもしろいものである。

   要はゴールに着くまでのプロセスが重要であるということである。
   人間は文明の利器を活用するのはよいが、歯車の一部になってはならないのである。 
     機械に振り回されるのは人間性の喪失を意味する。   

     電車やバスなどの公共の交通機関を利用すると(1)自分自身の健康の維持 (2)費用の
   節約 (3)コミュニケーション能力の向上と様々な情報の獲得だけでなく、(3)車の排気ガ
   スの削減=eco活動の推進、環境保護  (4)ローカル鉄道の存続(=社員の仕事が増
   える)という相互利益= Mutual Advantage にも役立つ。  
   

20. CITIZEN(市民)とPEOPLE(民衆、一般大衆)の意味は異なる。
   PERSONとMAN, WOMANも然り。

   citizenは民主主義(democracy)を基本理念にしている。国民、市民に向けてスピーチ
   をする場合、Fellow citizens of the town (world) と切り出す人はPeople〜と語る人
   よりも語彙力が高い。高齢者も senior citizensであって、old people、elderly people
   という表現は一般的すぎる。 citizenには人権意識に根ざした良識ある大人という深い
     意味がある。fellow citizens =同胞で良識ある市民という意味。personという語も同様
    で、使用すると相手の人格、人柄(=personality)が尊重される。

     peopleには良識ある大人もその反対も含まれる。 国民の生活向上(=社会保障)が第一
     である。 

 <要約すると>

 1.自分のことしか考えない。人のことはどうでもよい。自分は楽をして、人にしんどい思い
   をさせ、責任転嫁をする。
連帯意識、受容能力の欠如。人間としての器が小さい。木を
   見て森(全体)が見えない。
猿は共存、共生、共感、共鳴、連帯、連携、分業という日本
   語がわからない。
連帯意識はゼロ。個人、個人が勝手に動いている
     猿は「中庸」という日本語がわからない。しんどさや苦労を共有する(分かち合う)のも1つ
     の能力である。
住民1人1人の福祉が最優先されていない。

     自分一人ですべての責任を負おうとするのはよくない。「自分にはわからない。誰かに
   相談しなくてはならない。」と言って脱帽するのも一つの能力=才能である。

   「こういう問題で悩んでいます。皆さんはどう思われますか。どうしたらよりよい方向性を
    定め、解決できると思いますか。何かよい知恵があればお教え下さい。」と社員や職員
   に上司が意見を求めるという謙虚な姿勢が必要である。上に立つ人ほど謙虚にならなけ
    ればらない。会話が一方的になるのではなく、相手に考えさせる時間を与え、心の余裕
    を持たせるのが真の意味での人権擁護であり、民主的なやり方だと思う。
   

    何人も許容範囲を超えた仕事、無理難題の仕事を一人の人間に強要することはできな
   い。労働基準法に抵触する恐れがある。      

   お互いを敬うという心がまるでない。 
     職場や学校で自己有用感(=どの人も役に立つ存在であるということ)を持たせる教育
   を浸透させていない。または浸透させようと努力していない。
   存在そのものが尊いということ=人を大事にする=人権教育の基本であろう。 

    
縦割りの馴れ合いグループ(仲良しグループ)=地域カーストは地域を崩壊させる。   

 
   高崎山の猿集団と酷似している。 猿(エテ公)は典型的な縦割り社会(=同質(均質)
    馴れ合い) 集団である。 
       
   
   「お変わりないですか」「今日は冷えますね。お大事になさってください」「いい天気です
   ね」 「週末に町内のイベントがあります。ご一緒に参加しませんか」と声かけができてい
     るか。何気ない一声(ひとこえ)は相手に心の安らぎと喜びをもたらす。   

2.ことばのキャッチボール=コミュニケーション能力が欠如し、一方的である。
  
相互の利益(Mutual Advantage)が考慮されておらず、共倒れになる。
     金の切れ目は縁の切れ目。可視化されていない価値の交換とは? 


3.やることすべてが事務的。心のむだがない反面、物理的なむだ(時間と労力)が多い。    
  
スペアカードを持たない。機転の利く人材、気配りができる人材が育たない。

     功利主義偏重で真心、誠心誠意は2の次か。 モラル(道徳心)と良心の欠如。

     スーパーの駐車場で現在、障害者のための車両が優先されているが、今後、高齢者や足
   の不自由な人、腰痛の人のためのスペア・スペースを設ける気配りも必要ではないだろう
   か。若い人、体力のある人が「早い者勝ちや」と言っているようでは地域はよくならない。

4.動物愛護の精神が浸透していない。生命の軽視。
 
5.義務感と責任感、使命感のちがいを知らない。義務感>責任感、使命感になっている。

6.何を優先すべきかがわかっていない。動植物を含むあらゆる生命と人権が尊重されてい
   ない。
年長者や経験者(人生の先輩)を敬わない。単独思考で勝手に動いている。

     お年寄りと若者が逆転するという珍現象。
   中高年が元気で、若い人が覇気(はき)と感性が欠落し、老人化(若年寄、若おば化)して
   いる。

.本末転倒の事象が多く見られる。肝心なことが後手に回る。 
   ごじゃごじゃと能書きを並べるだけで一向に実践と結びつかない。

8.地域カーストが存在し、単独思考の特定の縦割りグループが勝手に仕切る。
   行政と市会議員が癒着していて利権をむさぼる。住民のことはどないでもよいという思考
   回路。議員に反対派がおらず、馴れ合いになっている。    
 
9.本屋さんが町から消滅する。視覚情報のみに依存し、文字媒体による想像力が育たな
   い。芸術分野、特に音楽への感性が育っていない。
 
10.携帯電話を場所をわきまえず、いたるところでかけまくる。    

  . 公共の交通機関(電車、バス)を利用せず、どこへ行くにも車である。人間の体で一番
   丈夫でなければならないのは下半身、特に足腰である。

    人間は文明の利器を活用するのはよいが、歯車の一部でなってはならないのである。
     (上記の19番参照)

11.
(人間の姿をした)こざかしい猿の数が人間の数を上回る?   
   猿は枝葉末節にこだわる。根をほりさげて耕そうとしない。
      猿は人財(人材)の育成と登用は後回し、小手先の技術(=マニュアル)を優先させる。

   もっと大切なものがあるということに気づかない。やることが事務的で(心の)暖かさがない。
     
猿はハード面を優先させ、ソフト面(真心、誠意)は眼中にない。
  
      3世代以上の多世代との交流、多様性の受容という経験が乏しいのではないか。

   
  
   「心の豊かさ、やさしさ=可視化されていない豊かさ」は金で買うことはできない。
   相互利益、相互の価値の交換=相互のコミュニケーション。 
      例えば、不要になったPC、電子辞書、オーディオコンポがあるとする。破棄処分するの
   はもったいない。資源のむだにもなる。ほしい人がいたら、その人にゆずる。交換条件
   として、一泊無料で泊めさせてもらう。金を払って泊まるなら旅館やホテルと変わりない。

****************************************************************************

全国で100歳以上の高齢者で所在不明の人が297人以上もいるという。

4年前の11月21日付の朝日新聞の記事によると
全国的に最近の傾向として小中高で生徒同
士のいじめと暴力事件が急増しているという。感情をコントロールできず、表現力に乏しく、自
分の意志をうまく言葉で相手に伝えることができないコミュニケーション能力に欠ける子供たち
が増えているという。

最近の子供同士のいじめはいったん始まるとどうにも止まらず、相当質(たち)が悪い。どこま
でが限度(リミット)なのかが子供同士のルールにないから、無制限にいびり行為が続く。ちょ
うどレフリー不在のリングでボクシングの試合を無限に行うのと似ている。最初は仲が良い友
だち同士のふざけ合いだったものが限度がわからず、いじめにエスカレートする事例が多い。

いじめを受けた子供が親や先生に相談すると「ちくりやがった」という理由で、今度はしっぺ返
しを食う。いじめの被害者は何とかして自分の「居場所」をさがそうと模索する。自分より弱い
立場の子供がいれば、その子が今までのうっぷんを晴らすはけくちになり、被害者が加害者
になるという悪循環が続く。居場所が見つからない子供の方が多い。

周囲にいる生徒はどうかといえば、大人社会同様、厄介なことには関わりたくないという精神
構造で見て見ぬふり。誰も止めに入らない。

スクール(学校)カースト=が存在し、(特定の縦割りのグループ)が教室を牛耳っているとい
う現状がある。(鈴木翔著書「教室内カースト」参照)

泥んこになって遊ぶという体験がないので、人の痛みがわからない。不潔恐怖症や過度の潔
癖症の子供や若者が増えている。けんかのしかたを知らない。ほど合い=適度がわからない。
相手との距離を調節できない。べたっとくっつくか、距離をとり過ぎるかの両極端である。

遊びのルール、つき合いのルールとはスペアカードを用意することである。昔の村落共同体で
は、村の規約に従わない住民は村八分にされたが、八分(はちぶ)であって十割(100%)の
けものにしたわけではなかった。2割のうち1割は協力し、1割はまつりごとに参加させるとい
う内容のスペア(空き)カードである。今のいじめは周囲が限度をわきまえず、相手をがけっぷ
ちまでとことん追いつめるという点で明らかに人権侵害行為である。身近な大人(親や教師)
の人権意識と感性が欠落していることに起因している。

K市の私の自宅の近くに○庫教育大学の学生の療があり、学生が私の家の敷地内に空き缶
をポイ捨てしているのを通行人が目撃している。私は昼間は働いているので誰がやったかは
特定視できないでいる。監視カメラを設置し、いずれとっつかまえて注意を促すつもりでいる。
現在、教育学を専攻している彼らは、将来、教壇に立って何を教えるのだろうか。?????
実におぞましい話である。

一体、何がしたいのか?何を考えているのやら やっていることが不可思議極まりない。

コミュニティ(community=地域)の語源のコミューン(commune)は、仲間同士の生活共同体と
いう意味だ。そのコミュニティが現実に崩壊し、存在しなくなっている。

前述のcompanion(コンパニオン)の他に、company, comrade, co-operate, corporate,
communicate, composeなどにつくco, com は仲間、共同、共生、協力、組織を意味する。   
代名詞のI やYouだけでなく、なぜWeとOurが使えない? 

大阪USJで大学生がボートを転覆させる!!

2013年3月以降2014年3月までに大阪USJで兵庫県の国立大K大の学生と京都府の有名私大
D大の学生がボートをわざと転覆させるなどして迷惑行為を行い、大学側が処分を検討している
という。

具体的内容 → http://matome.naver.jp/odai/2136585141832228401

理由はごく単純なもので、みんなをわぁっと言わせ、目立ちたがった、ヒーローになりたかった
という。実になさけない行為で幼稚園生や小学校低学年の子どもすらしないだろう。これが日
本の優秀大学の学生の実像であるとは。受験テクニックを身につけて大学に何をしに行って
いるのか不思議でならない。人のことはどないでもよいという精神構造である。

更にひどいことに自分のブログやTWITTERに写真を掲載し、迷惑行為の内容を投稿していた
ことが発覚した。「わしらはえらいやろ。USJでこんなことをやったんやで。」とUSJでの”偉業”
を自慢していたというからあきれかえる。USJの係員に「こういうあぶない乗り物におまえらが
乗せたんやから悪いのはおまえらや。責任をとってわしらに優先券をくれんかい!」いちゃもん
(注文)をつけてるあたりは相当程度が悪い。

別件でコンビニのアイス用冷凍庫に入り込み、知人が撮影した画像をTWITTERとFACEBOOK
に投稿した事例とラーメン店Mの女性従業員が店のソーセージを口にくわえた様子を撮影し、
TWITTERに投稿した事例もある。動機は閲覧者に「すごいことをした」と賞賛されたいためであ
る。

テレビやネット(特にブログ、FACEBOOK、TWITTER、LINE)の影響が大である。
脳回路が麻痺し、FACE TO FACEの直接的なコミュニケーションが希薄になっているという証
である。

そんなに目立ちたいのなら、被災地の復興支援活動をするなど、何か社会の役にたつことを
する方がはるかに賢明ではないだろうか。

最近の若い人10代〜30代の傾向

最近の若い人は、自分より上の人、優秀な人がいると、ひきづりおろし、自分より下の人を見
ると散々、中傷、誹謗、差別をし、疎外化(のけもの扱い)しようとする傾向が強く見られる。要
は自分の居場所がない、存在感がないため、ただ目立ちたい、傑出した存在になりたいとい
うのが特徴である。自分にとって何のプラスにもならないということに気づいていない。ただ、
おもろかったらよい、相手の立場や心情はどないでもよいということである。居場所がなく、存
在感のないお猿さんはスケープゴート(生け贄、身代わり)を常に求めているのだろうか。

大学生〜20〜30代の若い世代のコミュニケーションに必要な3つの言語とは?
日本語のみだれが顕著になっている。

(1)マジカヨ〜。 マジ、きついすよ。マジ、やばいすよ。
(2)やばいすよ。
(3)めっちゃ、きつかったすよ。 めっちゃ、しんどかったすよ。 めっちゃ、えらかったすよ。



.
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JP(日本郵政株式会社)のうれしい取り組み

一人暮らしの高齢者の方のお宅を定期的に訪問し、毎日の様子を遠くにいる身内の方やお友
達に報告する取り組みが始まります。(現在は試験的に8県が実施。他の府県は未定でまだ
まだ先)


IE Ver.9.0以下でご覧ください。Ver.11ですと互換モードが必要です。

 


犬猫救済の輪
     地域猫とコミュニティ    車いすで懸命に生きた犬の話 

トップページへ  千代田区殺処分ゼロ(地域猫保護活動)  渋谷区動物愛護推進ネットワーク

人と動物が幸せに暮らす社会の実現プロジェクト     地方議員の低レベル化が加速 

       水道なしで10年生活 工事費負担拒否、引くに引けず(新潟佐渡市)

関連した内容で次のむずかしい課題を抱えている地方都市K市のことを聞いている。


水道公営化の際、工事費負担が13〜30万が平均だが、工事費(受益者負担)が130万を超える
めちゃくちゃな地方都市K市がある。2年前最初に市側が市内東部高台にある嬉○東自治会に
提示した費用は235万だったが、自治会長が市側と交渉した結果、135万に決定したらしい。それ
でもべらぼうに高すぎる。この自治会は昔は民間の会社に水道の管理を委託していたが、数年前
から自治会が管理するようになったという経緯がある。しかし、水道管が痛んでおり老朽化したた
め、新たに配管工事をしなければならなくなった。新らしい配管工事は完了し、2018年4月末には
旧の水道水はストップする。工事料金(負担金)が払えない世帯は自費で井戸を掘るか、給水タ
ンクを設置するなどの対策をとらなければならない。高齢の1人暮らしの方もおられて今更他市へ
引っ越す訳にはいかない。引っ越すには余分な費用がかかる。 こんなことをなぜK市の1市民が
しなければならないのだろうか。自治会自体、市側との交渉(詰め)が甘かったのではないかと
の指摘もある。
嬉○東自治会の住民はK市の市民ではない=蚊帳(かや)の外と言いたいのだ
ろう。

130〜230万円という法外な受益負担金を請求し、払えない住民は余儀なく市外へ退去せざるを
えないという状況に追い込む行為は重大な人権侵害=犯罪行為以外の何物でもない。
水道公営化の費用は1人あたり最低130万だが、突貫工事費用と新規加入の費用を合算すると
160万になる。めちゃくちゃもはなはだしい。市側は負担しないという。やらなくてもよい設備投資
に血税を浪費している状況だ。

何も負担金がゼロ=ただにしろと言っているのではない。20万ぐらいが妥当な線で上記の自治
会の住民も要望していたのだが、K市行政の無謀さには開いた口が塞がらない。

嬉○東地区は近くに県道564号線が通っている住宅地区であり、決して人里離れた山奥の山村
ではない。前々から民間の業者が設置した水道設備があるが、長い年月使用してきたため老朽
化したため、古い水道管を撤去し、新しい水道管を設置し、公営化にこぎつけたわけだが、受益
者負担額が大きすぎて住民は困っていた。借金をしてまで支払った住民は近いうちに新しい水道
の「恩恵」を受けることになるが、負担金を払えない住民の苦労は言葉では表すことができない。
引っ越すにも金がかかり、簡単に転居するわけにはいかない。できることなら古い水道設備をすぐ
に撤去するのではなく、しばらくの間、利用させるよう配慮するのも気配り=人権保護の1つであ
ろう。

生活用水と道路の整備=最低限すべての市民が共有すべきものである。消費量の大小の格差
はいたしかたないが。

水道の工事料金だけではない。自治会内の道路はぼこぼこで痛んでいるにもかかわらず、市側
は補修費を出さないと聞いた。「あなたたち自治会員(個人)で負担して下さい。高台に住んでいる
のが悪いのではないですか」初めからこのような事態が予測できていたら住所をK市に移すこと
はなかっただろう。数10年住んだ場所から今更他市へ転居することはできない。これは重大な
人権侵害である。市内の道路の補修や整備(インフラ)を含む住民サービスは行政の仕事では
なかろうか。ゴミ収集用の袋もべらぼうに高い。

燃えるゴミ用Lサイズで\1500もする。20年以上も前から臨時税収入にもなっているから財源な
きにしもあらずである。

生活用水がないということは死活問題である。
生活用水と道路の整備=最低限すべての市民が共有すべきものである。消費量の大小の格差
はいたしかたないが。知人に話すと異口同音におかしい、まちがっていると言う。


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