廃墟にも光が降り注ぐ ――往復書簡を終えて 涼風 輝 様 つねづね思っているのだが、一握りではあるけれど、やはりこの世には素晴らしいものが存在するのだ。一握りの人間、一握りの芸術、ほんの束の間の幸福。それは、必ずしも名を成した人物である必要はないし、超一流の芸術である必要はない。そうではなくて、世界そのものの輝きが、無名なものに仮託してその姿を顕現する瞬間は、私たちの生活のまわりに無数に散らばっているのだ。それゆえ、私はニヒリスティックな言い廻しがとても好きだけれど、最終的に、ただひたすらにこの世を儚んで言葉遊びをするつもりはまったくないし、むしろ奇蹟の瞬間を待ちわびている、はたから見るとちょっと甘やかされて育ったおめでたいロマンティストなのである。 そうであるべきではないだろうか? ネットには、我々よりも聡明な人間は無数に存在するだろう。しかし彼らの多くは、時代の流れということもあってか、たいていは悲観的な見解で話を締め括ろうとする。気持ちはわからないでもない。けれど、一握りの素晴らしいものに対する感性が開かれていること、それを自分の言葉のなかにそっと隠し込むことこそが、最も大切なことではなかっただろうか。 涼風輝氏は、そのような要件を満たした数少ない語り手である。正直なところ、往復書簡の企画を持ちかけたときには、まだ涼風氏がどのような人物であるか、わたしはほとんど知らなかった。いや、今でも知らないことのほうが多いのだが――したがって、わたしが彼の「押しかけパートナー」になったのは、かなりカンに頼ってのことだったのである。そして、そのカンはどうやら正しかったようだ。結果として私は、この企画に最適のパートナーを得たのだから。願わくば、涼風氏にとっても、私という野暮ったく出しゃばりな人間が、往復書簡を進行している間それなりに興を添えたのであれば、それほど嬉しいことはない。 涼風氏の最後の書簡で提案された「『それでも私は思索する』宣言」の主旨に私は完全に同意するし、それはもう人文科学に興味のある人にとっては大前提のようなものである、と思う。おそらく涼風氏も感じているのだろう。思索に似てそうでないもの、あらかじめ用意された、安易で悲観的なそぶりに向かってゆく、空虚な、それでいて耳目を賑わせることには妙に長けたテクストが、いかに巷間にありふれているかを。それは思索であって思索ではない。しかし、ただちに私は自省しなければなるまい。わたしは本当に思索しているだろうか? それはとても難しいことだ。少なくとも、二十歳を過ぎるころまでは、思索だと思っていたことが単なる他人の言説の受け売りだったりしたものだ。そのことに自分自身気づかなかったり――いまでも油断すると、すぐに思索が思索ではなくなってしまう。せめて往復書簡の中では、そのような自動書記に陥らないよう、絶えず自己解体を試みたつもりである。さもなくば、涼風氏の容赦ない批判の前に立往生する羽目になっていたのではあるまいか?(幸い、実際にはそうはならなかったが) それにしても、未消化の話題が多く遺されてしまった。それらを片付けるためにもう十通同じことを繰り返したら、たぶん未消化の話題はさらに数倍に膨れあがってしまうだろう。そういう対話がいいことか悪いことかと云えば、少なくとも当人たちにとっては、断然いいことだとは思うのだけれど。まとまっているからといって立派なものでもあるまい。我々の放った言葉は、まだまだ標本棚には収められないぞ(笑)、ということでひとつ。 ――いかがでしたか? 涼風様? |
出会うことは奇跡である ――往復書簡を終えて 馬頭親王 様 そういえば我々はまだお互いの顔も声も知らない。ネットワークを介して文章をやり取りするようになってから、まだ二年にも満たないが、それでもひどく旧くからの友人と言葉を交わしているような錯覚に陥るのは、どうしたわけだろうか。 誰かと出会う、ということは実に困難である。特に現代のような、セキュリティの肥大化した社会においては。我々は意識と無意識とに関わらず、自らの主体の存立のために「敵−味方」を明白に区分し、その結果、自らの親密性の支配する領域より外において、他者と接触するなどという、愚かしいリスクを犯す真似をしなくなった。「投壜通信」の有名な例えが示すとおり、我々が夢見てきた「(大文字の)他者」との接触がいかに困難なものであるかということと、誰もが安易に自分の殻に閉じこもる(また、そうせざるをえない)現状を、我々は日に日に思い知らされているのである。 そんな中で馬頭親王氏は、偶然に私のサイトに立ち寄り、言葉を残してくれ、それが契機で私が馬頭氏のサイトを訪れ、感銘を受け、それからはもう当人たちも目を見張るスピードで展開してここに至っているわけである。これはもう、奇跡に近い。押入れを開けたら中から美少女が出てきて自分に一目ぼれしてくれる、というのと同じくらい、ありえない。 このような「奇跡的な」企画が、どうにか一応のゴールにまで到達することができたのは、ひとえに馬頭氏の積極性と見識の広さ、それに度量の広さによるものであって、私は馬頭氏の溢れ出る才覚によりもたらされる恩恵に、ただ浴していただけに過ぎない。ただ、勉強不足や要領の悪さについて反省すべき点はあれども、こと互いに対し誠実な受け答えを心がけたという点については、馬頭氏が誠実かつ真摯であったことに負けないくらい、私も(珍しく)誠実かつ真摯であることを心がけていたという自負があり、その点については、胸を張ろうと思う。 通信テクノロジーの高度化とセキュリティの肥大化は、例えばデリダが夢想した(と、東浩紀が読み解いている)ような、「誤配」の可能性を極小まで狭めつつある。しかし馬頭氏は誤配を恐れず、それどころか誤配を誘発しかねない勢いで、自らの「外側」に向けて言葉を発し続ける。それは他者を傷つけ、自らを傷つけかねない危険な行為である。しかしこうした姿勢をこそ「思索」と呼ぶのではなかったろうか? 今こそ私は馬頭氏のこうした姿勢を見習わなければなるまい。しかし差し当たっては、馬頭氏のこの積極的な、思考と発話の結合体としての「思索」によりもたらされた甘美な果実である、この往復書簡の余韻に浸ることを許していただこう。 そしてひとときの休息の後には、未知の戦場か、はたまた無人の荒野が広がっているのだろう――が、まあそれはさておき。馬頭様、ひとまず一緒に酒でも飲みませんか。スコッチのいい奴がありますぜ。とっておきのブランデーも開けちゃいましょうか。ミモレットでも切りましょうかね。へっへっへ。 |
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二〇〇四年一二月八日 馬頭親王 拝 |
二〇〇四年一二月二四日 涼風 輝 拝 |
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