馬頭親王 様 まずは前の書簡からずいぶん間が開いてしまったことをお詫び申し上げます。とはいえ、今回の書簡が遅れることは既に織り込み済みのことであって、馬頭様には先立ってこの書簡が遅れざるを得ない個人的な事情について、別の場所でお伝えしたところです。 しかしながら、この往復書簡は予めウェブ空間上に公開することを前提に書かれているものでありますから、顔の見えない無数の、あるいは少数なのかそれさえ分かりませんが、読者に向けての情報公開も必要でしょう。この件については私のサイト『涼風文学堂』での公式発表もまだですので、一応、この場をお借りして明言しておこうと思います。 私、涼風輝は、二〇〇四年三月六日に、結婚いたしました。(※註1) ……ということは、前回の馬頭様の書簡を注意深く読んでいる読者の方であれば、すぐに気がつくことかと思われますが、やはり本人の口からコメントすることの意味はあると思いますので、ここで発表させていただきました。どうぞご容赦ください。 さて、この『結婚』なる不可思議な制度についても、馬頭様と語るに値することがいくつも拾い出せそうな気がしますが、今回は少し脇道に逸れて、新婚旅行のお話をさせていただきます。 今回、新婚旅行と称して、ドイツ・スイス・フランスの三ヵ国を旅行してまいりました。ドイツの古都や古城を巡るのが今回のツアーの目玉だったのですが、実を言うと、それより印象に残ったのは、最後に訪れたパリでのことなのです。 基本的に今回の旅行は妻が主導権を握っていたのですが、パリに至って、免税の誘惑に負けて妻が300ユーロ(※註2)もするバーバリーのバッグを買ってしまってから力関係が逆転し、以後半日ほど残っていた旅程は私のわがままを通させていただきました。 パリでの半日間、私が選んだルートというのは、メトロでマドレーヌ広場近くへ出て、エディアールで紅茶とジャムを買い、オルセーやルーブルを遠目に冷やかしつつセーヌ川沿いを歩き、サルトルやボーヴォワールら実存主義者の集ったカフェ「レ・ドゥ・マゴ」でコーヒーとクロックムッシュを食す、というものでした。観光名所としてのパリではなく、猥雑な都市としてのパリの姿を見ておきたかったのです。 ドゥ・マゴでコーヒーを飲むあたりは完全にネタだったのですが、当然のことながら、その時私は漠然とカミュやサルトルに思いを馳せていたのでした。そういえば、その前日にルーブル美術館の地下(一大ショッピングモールになっています)にあるヴァージンメガストアで本を見ていたのですが、ペーパーバックの棚で、カミュやデリダなんかどこ吹く風というふうに、サルトルがやたらと幅を利かせていたのが印象的でした。(邦人作家では、三島由紀夫と村上龍が圧倒的な人気でした。閑話休題) そんな経緯もあり、ドゥ・マゴでコーヒーにミルクをたっぷり入れて飲みながら、ふと思い出したのは、馬頭様の書簡で書かれたサルトルのことだったのです。 前回の書簡『必然的に起こりうる或るジレンマについて』の中で、馬頭様はコリン・ウィルソン『夢見る力』を引き、二十世紀文学の一つの到達点は「人生は生きるに値しない」というテーゼである、という文学史観を紹介していました。ここで例示された作家群には、サルトルの名前も含まれておりました。 また、初期の書簡において、サルトルの有名な文句「飢えた子の前で文学に何ができるか?」についても、若干触れたところです。 思い返せば青年ロカンタンは、存在そのものに吐き気を催したのであり、その意味において「人生は生きるに値するか?」の問いに対し「暗く湿ってぬめぬめとした、不快感と嘔吐感を催すもの」としての「人生」を見出していたのだと言えるでしょう。(しかしこのことをもって「人生は生きるに値しない」というテーゼに結びつけるのはいささか気が早いようにも思えます) と、これだけサルトルの話で引っ張っておいて、実は今回取り上げたいのはむしろアルベール・カミュであったりします。 カミュはその有名な著作『シーシュポスの神話』の冒頭で、次のように書いています。 真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学上の根本問題に答えることなのである。それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるかとか、精神には九つの範疇があるのか十二の範疇があるのかなどというのは、それ以後の問題だ。そんなものは遊戯であり、まずこの根本問題に答えなければならぬ。そして、ニーチェののぞんでいることだが、哲学者たるもの身をもって範をたれてこそはじめて尊敬に値するというのが真実であるとすれば、そのとき、この根本問題に答えることがどれほど重要なことであるか――この答えにつづいて決定的動作が起るかもしれないのである――それが納得できよう。以上は心情では明白に感じられることだが、この明白さをさらに深くきわめて、精神にとって明瞭なものたらしめなければならない。 (『シーシュポスの神話』アルベール・カミュ、新潮文庫) 先の「人生は生きるに値しないのではないか?」という問いに対し、上記のカミュの立場から答えるのであれば「じゃあ、死ねば?」ということになるでしょう。 カミュはこの文章に続けてガリレオの例を挙げ、「地球と太陽と、どちらがどちらのまわりをまわるのか、これは本質的にはどっちでもいいこと」と切って捨てています。 こうした文章から、カミュは少しばかり皮肉屋であったろうと私などは空想するのですが、おそらく彼の言い分としては「人生は生きるに値しない、などと言って嘆くポーズばかり取っていっこうに自殺しようとしないのは、つまるところ、人生は生きるに値しない、などと本気では考えていない証拠である」ということになるのではないでしょうか。言い換えれば「完全に絶望した文学は、ことばの矛盾である」というこれもまた知られた文句になります。 先の青年ロカンタンとはまるで対照的に、カミュの描く青年ムルソーは、母の死の直後海へ行き、女の子と遊び、ふとした諍いで人を撃ちます。彼が殺人を犯した動機を問われ「それは太陽のせいだ」と法廷で答えるそのシーンはあまりに有名ですが、まさにカミュの頭上にはアルジェの灼熱の太陽が、常に照り続けているのです。 ここで中学校の地理の授業を思い出すと、ヨーロッパ諸国はその大半が、日本でいえば北海道と同程度の高緯度に当たるにも関わらず、北大西洋から流れ込む暖流のために、それほど寒冷ではないのだ、という情報があります。実際、恥ずかしながら初めてヨーロッパの地に足を踏み入れたのですが、フランクフルト・ジュネーブ・パリのいずれにあっても、(三月中旬、という時期を考慮しても)陽光が実に弱々しく感じられたのが印象的でした。いかに温暖といっても、高緯度地方であることを実感した次第です。 であれば、カミュが、デリダが、あるいはサン=サーンスが(この並列の仕方も乱暴ですが)あれほど奔放であるのには、彼らの頭上に燦然と輝くアルジェリアの太陽が、何らかの影響を及ぼしているのかもしれません。 ……という話に至って、少し話が逆戻りするのですが、前回の書簡で馬頭様は、私の『a pone』読解に、私自身の問題意識が強く反映されている、ということをご指摘くださいました。それはまさにその通りであると、私も自覚しているところです。 また、「独身者の論理」「妻帯者の論理」の例を挙げつつ、馬頭様ご自身の「環境の変化と価値観の変化との相関性」にも触れられました。 この点は私も以前から、強い興味のあったところなのです。思想の外部性とでも言えばいいでしょうか、一個の人間が物事を考えるときに、外的な要因から受ける刺激をどうしても排除できない、ということ。先のカミュとサルトルの例で言えば、同時代、同言語、またほぼ同一世代でありながら、そこに至るまでに歩んだ道、浴びてきた陽光の強さが違うことは、何らかの形で彼らの思想の相違に影響を及ぼさざるをえない、ということ。 私なりの言葉で簡潔にまとめてみようとすると、以下のようになります。 「ひとは、何事かを語ろうとするとき、常に自らの置かれている[ポジション]に呪縛されている。すべての言葉はこの[ポジション]というフィルターを通じてでなければ、表に現れることはない。」 ここで[ポジション]という単語−概念を導入するに当たり、何らの勉強も下調べもしていないのですが、私の勝手な定義による用語法であり、開き直って言えば私の独創による概念だということもできるでしょう。(もちろん、似たようなことを既に述べている人間は、星の数ほどいることと愚考します) [ポジション(position)]とは、辞書的には「位置」だの「地点」だのを意味する英単語です。ここで[ポジション]という単語を使用するとき私は、例えばサッカーやラグビーの試合を想定しています。サッカーを例に取りましょう。サッカーのゲームに出場するフィールドプレイヤー(ゴールキーパーを除く一〇人)は、通常「フォワード(FW)」「ミッドフィールダー(MF)」「ディフェンダー(DF)」の三種類の[ポジション]のうち、いずれの区分に所属する選手であるのか、試合の前に予め登録されているのが普通です。さらにメディアなどが試合内容や選手について詳細に報じるときは「トップ下」「ボランチ」「サイドバック」「リベロ」等のより細かな区分の[ポジション]により、その選手が試合の中でどのような[位置にある/役割を果たす]のかを表現するのが一般的です。 ところでサッカーのルール上は、「ゴールキーパー」という特殊なポジションを除けば、どの選手も同等に扱われます。別段ディフェンダーが最前線で待機していようと、フォワードが試合中一度もハーフラインを越えなくとも、それによりファウルを宣告されることはありません。 また実際、試合展開によって、この[ポジション]は変化することもあります。劣勢の試合の終盤で得たフリーキックの場面で、ディフェンダーの選手が敵陣ゴール前の深いところまで攻め上がるのはよくある話ですし、逆に引き分け狙いの試合など、フォワードの選手がいっこうに攻めに加わらず中盤の守備に徹している、という光景も、しばしば見られます。 つまり[ポジション]とは、決して固定的なものではなく、絶えず変化する流動的なものである。にも関わらず[ポジション]がすっかり消え去ってしまう例はほとんど見られず、われわれ観客はこの[ポジション]によりプレイヤーの位置を知り、マッピングを行い、認識する。概ねそのようなイメージの[ポジション]として認識できるところのものが、われわれを普遍的に支配し、呪縛している、というのが私の持論であるわけです。 ところで、サッカーであれば選手のポジションは監督が決定しますが、われわれの社会生活における位置としての[ポジション]は、先天的・後天的な多様な要素が複合して折り重なった場に生ずるものであり、決して単一的な要素により定まるものではありません。 卑近な例を挙げれば「いやぁ、結婚ってのもなかなか厄介な代物だね」などというテクストがあるとします。この台詞を仮に私が口にするとして、二〇〇四年三月六日以前に言った場合と、三月七日以降に言った場合とでは、当然にニュアンスが変わってくるわけです。(タームの指し示す意味も異なるでしょう。恐らく「結婚」という単語が、前者のケースでは儀礼としての「結婚式」を指し、後者では「結婚生活」を指すことになるだろうと思います) この場合、発話者である私は、いずれのケースにおいても同一の意味内容として受容されることを期待して発言した、という仮定が成り立ちえます。しかし通常、前者の場合と後者の場合とでは、発話者の意図に関わらず、受け手の側では異なったニュアンスのセンテンスとして受容することになるわけです。 このような現象を私は[ポジション]の位相のずれとして理解しようとしているのです。我々の発したことばは、受け手に達するまでの間に必ずこの[ポジション]というフィルターを通過するのであり、その[ポジション]が常に流動的であることの帰結として、同一の意図のもとになされた発話が、常に意図したところから少しずれた形で受容されることになる、と。このため、アキレスと亀の説話ではありませんが、我々のことばというのは常に意図したところから少しずれたところに行き着いて受容される、という、何やら『言語の物質性』に似たような結論を導き出すわけです。 言語の物質性、などと、ニューアカ、フランス思想かぶれのような単語が出てきたところで、おもむろにそちらの方面に話題を切り替えることにします。 『主体の後に誰が来るのか?』という書名の本があります(J=L・ナンシー編著、邦訳は現代企画室)。本書はナンシーの設定した「主体の後に誰が来るのか?(Who is coming after the subject ?)」という問いに対する返答、という形式で、現代フランス思想界の主要な面々からのテクストを集めたものです。 中でも、特に刺激的なのがデリダとのやり取りで(そして相変わらず話が進むほどにわけが分からなくなっていくのですが)、デリダはこの「主体の後に誰が来るのか?」という短いテクスト、問いの立て方そのものを問題化していきます(非常にデリダ的なやり方といえます)。 元来、ナンシーがこのような問いの立て方をしたのは、アメリカ系(ナンシーは『アングロ=サクソン系』という表現を用いています)の哲学に対置される形での現代フランス思想の位置を意識した上で、もちろん彼の主張する『共同−体(態)』理論への展開を少し意識しながら、きわめてポストモダン的な「主体の批判あるいは脱構築」というところを狙っていたためだと理解できます。ところがデリダは「主体の脱構築」ではなく「『主体の後に誰が来るのか?』というテクストの脱構築」に手をつけてしまったわけです。 「主体の後に誰が来るか?」(今度は「後に」の部分を強調しよう)という問いは、「主体」と名づけられた何ものかが、ある一定の哲学的意見にとって、今日、そのもっとも目立つ布置において同定されうるということを前提している。(中略) ぼくは、この言説こそ、まず、批判ないし脱構築するべきだと思う。主体とは何かが知られていることを前提とするような議論、主体というこの登場人物が、マルクス、ニーチェ、フロイト、ハイデッガー、ラカン、フーコー、アルチュセール、その他の人々にとって同一であることが、そしてそれを「清算=抹殺」するという点でこの人々が合意しているということが自明視されているような議論には、ぼくは加われない。 デリダはこのように言ってナンシーの設定した問いそのものを解体し始め、これにナンシーは次のように応じます。 ぼくにとって「誰が」は、一つの位置を指示するものだった。まさしく、その脱構築そのものによって顕わになった、あの「主体」の位置のことだが。たとえば、現存在が占めに来るのは、一体どんな位置なのか? まさにこの文脈で言う「位置」というタームこそ、私の考えるところの[ポジション]と重なるところではないかと、私は考えるのです。 こうした議論の前提としてまず、ロールズでもノージックでもウォルツアーでも、あるいはフランシス・フクヤマでもいいのですが、ある種の「アメリカ的」な思想家を思い浮かべると、彼らの言説には、伝統的な「コギト」に近い形での「主体」の伝統が、その根底に脈打っていることが何となく想像できます。(※註3) 他方で、本書の発刊(一九八九年です)までに至るフランス思想の流れを追うと、実存主義−構造主義−ポスト構造主義といった形で、「人間=主体=コギト」のような単純な前提に抗する形で、これらの概念の重なり合わない部分を追ってきたように感じられます。 「主体の後に誰が来るのか?」という問いを発するとき、ナンシーは間違いなく「アングロ=サクソン的文脈でいうところの『主体』概念が、決して堅固な前提ではないことを暴き立てる」ということを、戦略的に狙っていたように見えます。そして「主体」を取り払った後には「位置」が問題になることを言明しています。 「主体」の位置には何か場所のようなものが、ある独特の通過点がある。(中略)この場所を、なんと名づけたらよいのだろう?「誰が?」の問いは、主体の何ものかを保持しているように見えるかもしれないが……? ナンシーはこう言って、主体の「位置」に(あるいは「かつて主体が埋めていたはずの位置」に)拘るのですが、ここにはいささか性急な気配がします。つまり、「主体」と「位置」の相関性を棚上げし、切り離したことで、「位置」に対する理解がきわめて素朴な地点に回帰しているように思えるのです。 ナンシーは「誰が?」の問いが主体の何ものかを確かに保持していることに、もっと意識的であるべきだったのではないか、と思います。先に「結婚って厄介な代物だね」という短いテクストにより例示したとおり、[ポジション]はその場所を占めている主体からのフィードバックを受けてその姿を変えるのです。 言い換えれば「主体の後に誰が来るのか?」という問いを発したときに、「後に」というタームにより、既に「主体」が片付けられた後の地点、[ポジション]は、もはや主体を欠いた瞬間からその地点を同定できなくなる。つまり、「主体の後」には「誰も来ることができない」のではないかと思うのです。 これは決定的なアポリアではないでしょうか?確かに単純なコギト≒主体による人間観、ベンサムやミルからロールズやノージックまでに至る、素朴な主体概念は批判されるべきなのです。しかし、主体を批判したことの帰結によって、われわれは[ポジション]をも失うことになり、結局アイデンティティの拠り所としての、主体に代わるオルターナティヴを得ることも不可能になる。主体の後には誰も来ない、というより、主体の場所を埋めることができるものがあるとすれば、それは主体に他ならないのです。 このような状態をどう理解するべきでしょうか?「主体の批判」ということを[ポジション]論から語れば、「主体」は[ポジション]を通じてのみ発話が可能なのであり、[ポジション]というフィルターを介することなしに世界とコミュニケーションすることは不可能なのであって、その意味では実に不確かな、揺らぎやすい性質のものなのです。 しかし、「主体」が揺らぎやすく不確かであるのと同様、[ポジション]もまた不確かで揺らぎやすいのです。われわれのアイデンティティの構成は、不確かなものとしての「主体」と不確かなものとしての[ポジション]が、相互にフィードバックし合いながら、互いの形を変形させていく、という形でイメージされます。 これは、われわれのアイデンティフィケーションが常に不確定で不自由なものであることを理解するための、ひとつのモデル図として、検討に値するものではないでしょうか?「主体」は自らの姿を知り、アイデンティティを一つのところに固定しようとするため、世界と交信しようと、発話します。ところがこの発話は[ポジション]のフィルターを通過する間に、「主体」が本来意図していたものとは別の形に変わって、世界へと発信されるのです。この発話の位相のずれを、仮に「主体」が発話への応答を手掛かりとして理解し、補正しようとしたとしても、既に「主体」からのフィードバックにより[ポジション]の形が変わってしまっているため、次に「主体」が発話するときには、[ポジション]のフィルターを通過する際に、以前と違う位相への転移が行われるため、「主体」が自分の意図するとおりの発話を行うことは、絶対に不可能である、と。 ずいぶんと迂遠な話になってしまいました。話を戻します、と言いたいところですが、さて、どこまで戻せますことやら。 ひとまずここまでの話が、馬頭様が前回の書簡でご指摘くださった、「『a pone』の分析には私(涼風)の個人的な問題意識の反映が見られる」ということへのレスポンスであることを、思い出さねばならないでしょう。私の前回の書簡で掲げた「男であることの不自由」という問題が、私自身にとって切実な問題であること、それは当然のように意識と無意識とに関わらず私の言動に至るところで影を落としているのだ、ということについては、率直に認めるところです。 したがって私は馬頭様の作品である『a pone』を、私に固有のポジションを通じて読み、私に固有のポジションを通じて分析したわけであって、これは「私」という主体が、私のポジションと切り離せない関係性にある以上、不可避の帰結であると言えるでしょう。 加えて、私が一読者として「男であることの不自由」という、きわめて「個人的な事情」を投影して作品に向かった際に、この『a pone』という作品には、そうした読み方を受け止めるだけのポテンシャルが備わっていたのだ、ということも特筆すべきでしょう。こうした作品の特性を私は「多層的な読み方のできる作品」という風に表現することにしていますが、小説にとって、多層的な読みを許容するポテンシャルが備わっているか否か、というのは、実に重要な評価ポイントであると思うのです。 したがって『スイヒラリナカニラミの伝説』を書いているとき、作者である私は「多層的な読みを許容する作品となりえているか?」ということを強く意識していたことを、蛇足ながら申し上げておきます。馬頭様の御慧眼のとおり、『スイヒラリナカニラミの伝説』において、敵が『ビッグ・マザー』という抽象的な存在となっているのは、「たとえば敵を「資本家」に置き替えればマルクス主義になるし、「男性」に置き替えればフェミニズムに、「現代日本の漠たる閉塞感」にすれば『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』に見られる悪しき村上龍イズムになってしまう」ためなのですが、同時に、この『ビッグ・マザー』は、「資本家」にも「男性」にも「現代日本の漠たる閉塞感」にも置き換え可能なものであることが、作者にとっては決定的に重要であったわけです。 言い換えれば、われわれが小説のようなある種のテクストを執筆しようとするとき、そのテクストがアクチュアリティを失わないためには、「デミウルゴス=ビッグ・マザー」を相手にしないわけにはいかないのではないか、と最近思うところです。それぞれに独異(これもデリダが好んで使う用語ですね)な[ポジション]に置かれている複数の読者の許へ届けられるためには、テクストは多層的な読みに耐えうる頑丈さを備えていなければならないのだ、と。 さて、いつまでも『a pone』と『スイヒラリナカニラミの伝説』について語り続けるのも、それはそれで楽しいのですが、往復書簡に刺激を与えるために、少し別の話を挿入させていただきます。 私が[ポジション]なる怪しげな概念を持ち込むに至った、その着想の起点として、やはりTRPGというものは外せないのではないかな、と思うのです(ああ、やっとこの話題になった!)。 TRPGについて私が馬頭様に何事かを説明しようとすれば、それはまさに釈迦に説法なのですが、ここでは、TRPGについて予備知識のない「読者」の存在を想定して、舌足らずながら注釈を加えさせていただきます。TRPGは「テーブルトーク・ロール・プレイング・ゲーム」の略であり、直訳すれば「テーブルを囲んで会話して役割を演ずるゲーム」であり、まったくもって意味不明になります。 TRPGの歴史としては、ボードゲームの一部である「ウォー・ゲーム」を発展させた『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(以下『D&D』)こそがその元祖であると、一般には言われています。しかし、TRPGという語の示す範囲を広範に捉えれば、多くの人が子供時代に経験した「ごっこ遊び」や「おままごと」も、広義のTRPGであると言ってしまって、差し支えないと思います。 ウォー・ゲームとTRPGの決定的な違いは、プレイヤーが操るのが単なる「駒」であるのか、それ以上の意味を持つのか、という点にあると思います。ウォー・ゲームは基本的に勝敗を競うものですから、チェスと同様に「駒」を戦略的に操ることが、プレイヤーの所作となります。ところがTRPGでは「勝敗」という概念は曖昧であり(そもそもTRPGで勝敗を競おうとすれば、ゲームマスターが必ず勝利することは、火を見るより明らかです。レベル1のパーティの前にレッドドラゴンが現れ、問答無用でブレスを吹いてきたら、セービングロールも何もあったもんじゃないでしょう)(※註4)、TRPGにおけるプレイヤーの動作は、その名が示すとおり「ある役割を演ずる」ということに終始するわけです。 TRPGは、どんなルールでゲームを始める場合であっても常に、プレイヤーに役割を割り当てることからスタートします。D&DでもT&Tでもソード・ワールドでも、まずはプレイヤーキャラクターを作成するところから始めます。そして、割り当てられるキャラクターが決定した瞬間から、プレイヤーはそれまでのプレイヤー自身のポジションから離れ、「頑固で一本気な魔法使いの老人」とか、「早合点でおっちょこちょいなホビットの少年」だとか、「甘えたがりでいつもお腹を空かせているエルフの少女」といった、それぞれの割り当てに沿った[ポジション]に置かれるのです。 そしてTRPGは、やはりその名のとおり「テーブルを囲んで会話をすること」によりゲームが進められていきます。与えられた[ポジション]を媒介して、プレイヤーたちは会話=コミュニケーションを行うのです。 こうした図式として捉えると、TRPGというのは、この書簡で先に挙げた「主体」と[ポジション]のモデル図に対する、シミュレーションのようなものだと言えるのではないでしょうか。 であるならば、われわれTRPGのゲーマーは、このゲームを通じて、アイデンティフィケーションの訓練をしてきているのだ、と言ってしまっても、あながち間違いではないのかもしれません。TRPGにおける会話には、当然発話に対する応答が期待されているわけで、TRPGとは発話が[ポジション]を通過したときの位相の変化を楽しむ遊戯である、という側面が多分にあるように思います。 もちろん、TRPGというゲームの魅力は、上に挙げた部分に留まるものではないですし、TRPGについては馬頭様ももちろん一家言お持ちのことと思いますから、ここいらでバトンをお渡ししようと思いますが、それにしても、われわれの世代にとって、RPGという文化(あえてTRPGより広く取りましょう)が及ぼした影響というのは、実に注目に値するものだと思いませんか?ほぼ大半の人間が「ドラクエ」をプレイしたことがあり、「自らを投影する対象」としての「プレイヤーキャラクター」に「名前をつける」という儀礼を通過したことがある、というのは、われわれ以降の世代に特有の、無視し得ない特徴だと思うのですが、馬頭様はいかがお考えでしょうか? さて、相変わらず語り尽くせない感がありますが、今回はこのへんで馬頭様にお返ししたいと思います。 そういえば、この往復書簡も間もなく一周年を迎えようというところです。(この書簡がずいぶん遅れてしまったせいで一周年が目前になってしまったことは、重ね重ねお詫び申し上げます)馬頭様のおかげをもちまして、私も大変楽しく、そして頭をフル回転させて、この書簡を書くことができています。今後もどうぞよろしくお願いします。 それでは――涼風の周囲では、最近夏風邪が流行っております。どうぞ馬頭様も風邪などお召しになりませんよう、時折「百薬の長」など口にしながら、ますますご活躍いただきたいと思います。 |
二〇〇三年六月五日 涼風 輝 拝 |
追伸: 私が萌えるのは断じていんくタンであり、インク先生ではありません。 あ、でも観覧車デートのシーンとかは(以下略) |
(※註1)
挙式日。パスポート記載事項の都合上、入籍したのは新婚旅行から帰ってから。このしち面倒くさい戸籍制度というやつも、何とかしていただきたい。 (※註2) 旅行時のレートで1ユーロ=140円くらい。旅行中にマドリッドでテロがあって急落した。レート差で大損した、なんて個人的なことで嘆くよりも、もう少し大きなことで嘆くべきなのだろう、きっと。 (※註3) これらの「アメリカ的」な思想は皆、「真に自律的な主体」という「不可能な幻想」にその思想の根幹を負っている、というのが、私がこれらの思想を批判するときの出発点である。歳をとるうちに思うのは、こうした私の立場もいささか狭量にすぎるのかな、と。こうした「強い主体の自己決定」に基づくアメリカ的思想に、一定の価値があることを認めつつ、だがそれが実験室での実験と同様に、一定の前提が満たされたときの帰結を示すものであって、万能の理論とはなりえないことには、常に注意しておかねばなるまい。 (※註4) かくいう私も、横暴なプレイヤーに苛立ち、つい強烈なオリジナルモンスターを出してしまっては、自己嫌悪に陥ったこと二度三度。 |
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